旱魃とマラリア

未読山の中から、南アフリカのスワジランドのマラリアについての論文を読む。文献は、Packard, Randall, “Maize, Cattle and Mosquitoes: the Political Economy of Malaria Epidemics in Colonial Swaziland”, Journal of African History, 25(1984), 189-212. 疾病と社会・経済・政治的な視角の切り口が、いつものように冴えている。

南アフリカにおける、19世紀から20世紀の感染症について、インフルエンザや結核や梅毒の蔓延と流行のメカニズムは、比較的簡単に想像できる。自給自足型の農耕牧畜の生活を送っていた地方部から、プロレタリア化した労働者たちが鉱山などに集中して集まって、そこには売春婦もいた。そのような新しい産業がうみだした人口の集中地で病気をもらって、生まれ故郷に帰って、そこでまた人に移す。人から人に移る感染症が急速に全土に広がったのは直感的によくわかる。

しかし、この時期にマラリアが(おそらく)流行の激しさを増した理由は、ちょっと想像ができない。マラリア学者たちによって、それは居住パターン、家屋タイプ、農耕の方法、労働の組織のあり方などと結び付けられてきた。その中で、雨が降ると土地が濡れて蚊が発生しやすくなるからマラリアが増えるという、あまりに短絡的で悲しくなる説明がされていたけれども、言うまでもなく、マラリアはそんなに一筋縄でいく病気ではないから、降雨量とマラリアの流行はもちろん一致しない。この論文は、もうちょっと洗練された疫学的な説明を試みている。

この論文の著者は、南アフリカだけでなく世界と連動している巨大な規模の政治・経済の枠組みの中に、スワジランドのマラリア流行、特に1932年と46年の流行を位置づけている。このどちらの流行も、旱魃と飢饉の翌年にマラリアの流行があったというパターンに注目している。旱魃-飢饉の翌年にマラリアが起きる理由は、経済学者が大好きな(笑)栄養不良ももちろんだが、より重要なのはインフルエンザなどが広まるのと同じメカニズムで説明されていて、マラリア常在地には、牛の国際価格競争に負けて牧畜では生活できなくなってプロレタリア化した農民が数多く住んでいたが、飢饉と旱魃のときに、マラリア原虫のキャリアーである彼らが雇用を求めて比較的人口密度が高い地域に移住してきたことが鍵を握っている。