エジプトのペストと環境史

新着雑誌から、エジプトの18世紀末のペスト流行を、環境史の視点で見た論文を読む。文献は、Alan Mikhail, “The Nature of Plague in Late Eighteenth-Century Egypt”, Bulletin of the History of Medicine, 82(2008), 249-275. これは博士論文のリサーチだそうだけれど、とても水準が高い分析である。

1791年にエジプトを襲ったペストは、広い範囲に大きな被害を出した。ある推計によると、当時人口30万人くらいの大都市であったカイロで、人口の五分の一が倒れたという。このペスト流行は、1347年から19世紀の末まで、エジプトに襲来し続けたペストのひとつである。この期間中、平均すると9年に1年の割合で、エジプトはペストの流行があった。9年に1度襲来する病気だと、それは一回限りや散発的な流行とは違う意味を帯びてくる。

この論文によると、エジプトのペストは、エジプトの風土や自然現象のサイクルに組み込まれて理解される。特に、カイロの自然と人文社会が依存していたナイル川の洪水は、ペストを理解するときでもやはり鍵を握っていた。ナイルの水と、それによって潤う土と、その上を吹く風・空気、そしてそれらに影響される人間の営みのリズムを含んだ、トータルな環境におけるサイクルというパラダイムの中でペストが理解されていた。

具体的にいうと、ナイルが洪水すると、人間は水浸しになった村を捨てて高地に一時避難する。一方、地中に住んでいたネズミたちも、もともとの住処を捨てて、いったん高地に行くが、すぐに村に捨てられた穀物に集まり、その豊富な食料で数を増やしている。1791年の大規模な洪水は、人間とネズミの住み分けのバランスを崩し、両者が同じ空間で接近する状態を作り出した。さらに、ナイルの洪水が一年の決まった時期に起きるように、旱魃とその影響でおきる不作と穀物価格の上昇、そして決まった時期に吹く季節風も、ペストの周辺のサイクルを構成するものであった。このように、「風土」の中にはめこまれ、エジプトの自然とエジプト人の生活の一部として理解するパラダイムが、エジプトでペストが理解された - エジプト人によっても、ヨーロッパ人によっても - 枠組みを提供していた。