必要があって、谷崎潤一郎が、一高以来の知己で精神科医の杉田直樹に宛てて書いた肉筆の手紙を読む。日本近代文学館が所蔵している。ものすごく達筆の候文で、私だけでは到底読めない代物だったけれども、日本近代文学館の図書館員にとても親切にしていただいた。それで、笑い話の種があったので、書いておく。
昭和12年10月19日の手紙である。当時、兵庫県で源氏物語の現代語訳をしていた谷崎潤一郎(兵庫県)が、杉田直樹にだいたい次のような手紙を出している。杉田は当時名古屋医科大学(すぐに帝大になる)の教授であった。
拝啓 一昨日参上いたし候由実にご懇切なるお話を伺ひ、少なからず安心いたし候おもむき喜んで知らせてまいりました。おかげさまにて私もほっといたしました。ご芳情、まことに忝く厚く御礼申し上げます。尚々近日帰ってまいりますから、そのうえにて、またお指導を仰ぐようなこともあるべく、どちらにしましても、今度私も上京の際に東京にて拝顔いたすか、あるいは名古屋へお立ちよりするかいたし、久々にてご高話を拝聴いたしたいと存じております。
話の大枠は明快である。谷崎の知人が杉田直樹に何かの件で相談し、杉田がそれに対して丁寧に説明し、その説明を聞いて知人は少なからず安心した旨を谷崎に伝えてきたから、谷崎もほっとした。手紙の前半は、それについてのお礼である。その知人が谷崎のもとに帰ってきて詳しい話を聞いたら、また、お話を伺うこともあるかもしれないから、その折にはよろしくというお願いが、手紙の後半の要件である。問題は、その知人とは誰か、そして杉田に相談した問題とは何だったのか、ということである。