「トータル・ヒストリー」

必要があって、「新しい歴史」(といっても20年前の話だけど)を紹介した記事を読む。文献は、Burke, Peter, “Overture: the New History, Its Past and Its Future”, in Peter Burke ed., New Pespectives on Historical Writing (University Park, PA: The Pennsylvania State University Press, 1992).

私が覚えている範囲だと、1980年代ごろから、「新しい歴史」と括られる一群の歴史学の主題と方法が脚光を浴びるようになった。この論文は、歴史学の方法についての簡潔で要点を押さえた紹介の名手であるバークによる当時の状況のまとめと展望である。1980年代は「新しい歴史」が輝いていた時代といってよい。もとはといえばフランスのアナール派に由来するこのタームは、英語圏でも漠然と同じような意味でつかわれていた。社会史は、偉大な政治家や思想家ではなくて普通の人々や搾取され虐げられた人々を主人公にした歴史を書き、フェミニズムやポストコロニアリズムなどは、女性や植民地の被支配者を主題について、新鮮で切れ味がいい分析をすると同時に、政治的なアクチュアリティを持った傑作が書かれていた。かつては、経済であれ、地理であれ、人口であれ、決定論的な歴史の見方が優勢であったが、普通の人が「選択の自由を持っている」「権力のループホールを利用する戦略を持っている」という見方が人気が出るようになった。

しかし、この「新しい歴史」というのは、伝統的な政治史という歴史の主題ではないとか、歴史資料の客観性を信じないとか、エリートを主人公にしないとか、ある意味で「それまでの歴史研究の主流と違う」ことだけを共通点にして「新しい歴史」と呼ばれていたいただけなので、特にまとまりがあったわけではない。そして、伝統からブレイクした新しい歴史の新鮮さの興奮がすぎると、主題なり概念なりを厳密に定義しなければならなくなる。しかし、当時の「新しい歴史」の思想的な背景であった相対主義や社会構築主義は、厳密な定義などの話になると、総じて苦手である。

フェミニズムとポストコロニアリズムの次には、環境史 (environmental history, eco-history)が次に注目を集めるだろう」と書いていた。私が「患者の社会史」のあとに見つけた「疾病の歴史」なんて、まさしくこの方向だったんだなと確認する。