必要があって、戦前北陸の結核についての論文を読む。著者は、後に公衆衛生のエースになった古屋芳雄。文献は、古屋芳雄「北陸地方農村結核の現状」『国民保健』vol.3, no.25(1939), 26-32; no.3, no.26(1939), 27-33. これは省略版で、図表が省略されている。
欧州では、国民の精神的肉体的の力が薄弱になっているが、その原因は、環境衛生学のように保護一点張りな政策によるものだというものもいる。環境衛生学の時代から一歩深く「体質遺伝学」の時代に入ってきており、その中で日本民族体質の変化とその動向に対するとおい見通しのうえに衛生学を打ち立てなければならない。農村の生物学的な動向が重要なのは、日本の都市に発生しつつある「生物学的勢力の空隙」を補っているのが農村だからである。ことに、都市の上層階級やインテリにおいて出生力減退によるヴァクオーレは、増殖力旺盛で強健な身体を有する農民にいつも補われている。これは、ルンストリョームがいうように、国家の生物学的勢力の貯蔵庫なのである。
しかし、いつまでも農村はこの貯蔵庫の役割を果たせはしない。自由主義文化の爛熟期に半世紀をすごした欧米ではこの勢力は枯渇して農村保護をせねばならなくなった。しからば日本の農村はどうか。これを結核の視点から見るとどうなるか。
まず日本の農村は一般に都市よりも結核の死亡率が低い。人口10万以上を都市部とすると、昭和9年のデータで都市の結核死亡率は人口1万あたり24.9, 農村は17.6である。じつは、かつては都市のデータはもっと悪く、大正元年には37.9もあった。
しかし、北陸においては全国や他の地域の構造とは反対の構造が現れる。農村のほうが都市部よりも結核死亡率が高いのである。福井県でいうと市部(福井市)は25.0. 町部は39.86, 村部は42.92 になっている。これらの地域について、マントン氏法によって結核罹患率をしらべると、都市から村部へ、そして村部の中でも高山のほうに行くにしたがって低くなる。(これは私の補足だが、交通のはげしくない地域に行くにしたがって被曝が低下すると考えていいと思う。階層や生活水準の話も古屋はしているが。)つまり、結核罹患率が低い村部になると都市部よりも死亡率は高まって行く、しかし、村部の中でも高山にまでいくとかえって死亡率は低くなる。