「くる病」の表象

必要があって、「くる病」が大衆文学の中で使われた例を一つチェックする。文献は、横溝正史『仮面舞踏会』。江戸川乱歩の作品が戦前の医学史にとって重要なインスピレーションになるのと同様に、名探偵の金田一耕介が活躍する一連のシリーズは、戦後の日本における、身体と精神の病理に対する偏見と病的な好奇心を示してくれるとてもいい素材だと思う。

『仮面舞踏会』の中で「佝僂病」と連呼されているのは、最終的には連続殺人事件の犯人であることがわかる少女である。華族の血を引くおしとやかなお嬢さんだと思われているが、実は色情狂でわいせつで道徳心のかけらもない人格を隠し持ち、その人格が現れてくると、顔の表情も姿勢もかわってしまう。その様子が「佝僂病」と表現されている。三か所を引用する。

美沙は佝僂病のように背中をまるめ、顎をまえにつき出して、ギタギタするような眼で六人の顔を見くらべていた。憎悪の火を吹きそうな眼であった。身構えをするように胸のまえでかまえた両手の指は、鷲掴みのようなかたちに湾曲していて、ワナワナとふるえていた。唇がおそろしくひんまがり、そのために顔全体がイビツにみえた。病的にねじれた唇から、いまにも泡を吹くのではないかと思われた。
 金田一耕介もいままでずいぶん多くの凶悪な男女の凶悪な形相を見てきたが、そのとき美沙がみせたような醜悪な形相をみるのははじめてだった。それがまだ十六歳の少女だけに、その恐ろしさはよりいっそう深刻だった。そこにはあきらかに精神的奇形があらわれていた。 428-9

「それはもう人間の顔ではなかったのです。悪魔の顔です。魔女の顔です。いいえ、魔女よりももっともっと恐ろしい顔、物凄くねじれてひんまがって、しかも笑っているようにもみえたのです。体さえふつうではありませんでした。背中がまがって、顎をつきだし、ゴリラのように両手を垂れ・・・不潔で、淫猥で・・・いや!いや!あたしもう二度とあんな顔を夢に見たくありません!」528

「佝僂病の少女を見たのです。(中略)しかし、佝僂病みたいに背中がまがって、顎をつきだし、両手をダラリとまえへ垂れて・・・」538.