ジークムント・フロイト「処女性のタブー」本間直樹訳『フロイト全集 16:1916-19年 処女性のタブー 子供がぶたれる』(東京:岩波書店、2010)71-91頁。
フロイト自身はフィールドワークで「未開人」を観察したことは一度もないが、人類学的・民俗学的な主題を頻繁に論じている。皮肉な言い方をすると、文明圏の神経症の患者を診れば未開人のことが何でも分かると信じていたからである。「処女性のタブー」も、そのような神経症と蜜柑人のタブーの構造の同一視に基づいた論考である。<「未開人のタブーは技巧の凝られた体系にまで津クラゲられていて、神経症者が恐怖症というかたちで発展させているものとそっくりである」
旧約外典の「ユディト」は印象に残る物語の一つ。ユダヤ人女性のユディトが、アッシリアの将軍ホロフェルネスに言い寄られ、彼の首を斬りおとして民族と女性の誇りを守るという物語で、クリムトやアルテミシア・ジェンティレスキの絵画などが、血とエロスと残虐さを伝えている。それをフロイトが分析した部分で、ユディトの言葉で面白い引用があった。 ユディトは男に向かってこういう。
「私の美しさはベラドンナの美しさ。味わう者は狂気と死の餌食となる」
美しい女性と交わった男は気が狂って死ぬのである。死に至る狂気という主題があったことを、もっと心にとどめるべきだった。
これは、フリードリヒ・ヘッベルなる19世紀ドイツの作家が書いた『ユーディト』に現れるとのこと。初めて名前を聞く作家だけれども、『ユーディット』は岩波文庫で読むことができるから、明日さっそく借りて読んでみよう。
画像はアルテミシア・ジェンティレスキの『ユディト』。