大英博物館の新しい展示―神々と生きること

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大英博物館の展示と、それとタイアップしたBBCのラジオ番組が始まった。タイトルは Living with the Gods である。現代という時代にとって、色々な意味で宗教は重要な主題であり、宗教を信じることを見直すことが、これほど大きな世界的な課題になっている時代も珍しいだろう。そのような要求に答えて、大英博物館が大きな展示をはじめた。前館長で、大英博物館で傑出した企画を次々と考案し、それをラジオと結びつけるという素晴らしいアイデアを考えたニール・マクレガーの企画である。博物館のコレクションを用いた「100のオブジェクトを使ってみる文明の歴史」などは、書物が翻訳されたので、日本でも知られていると思う。

15分ほどのラジオ番組もいくつかアップロードされている。そのまま聞くこともできるし、ダウンロードして聞くこともできる。日曜の午前中、久しぶりに仕事をしなくても許される時間になったから、番組を三つ聞いた。最初の番組である4万年前の「ライオン・マン」の話、次の火とその周りに集うことの分析、次のガンジス河の水の儀礼に見られる生命と流れの分析。どれも、深くてインパクトがある話題を短くて分かりやすい番組にまとめていた。英語も素晴らしくて、講義をするのにいい練習になる。

第4回は番組の主題は太陽。番組はまだ聞いていないが、後半にはアマテラスオオミカミの話が出てくるとのこと。

芭蕉と伊良湖岬のタカと鳥の巣の話

日本野鳥の会の月刊誌『野鳥』の2017年11月号が面白い。冒頭に松尾芭蕉が貞享4年(1687)年に伊良湖岬に鷹を見に行った時の俳句が掲げられている。
 
鷹一羽 見つけてうれし 伊良湖
 
伊良湖岬は私は行ったことがないが、タカの渡りの名所である。秋の10月くらいになると、日本中の渡りをするタカが、日本の寒い冬を避けて東南アジアなどに移動するために南に向かう。北部のタカは愛知県の伊良湖岬に集まり、そこで上昇気流に乗るためにらせん状に上昇し、盛大な「鷹柱」(たかばしら)ができるという。私は南富士市部のタカの渡りの観察に何度か参加して、サシバの渡りやかなり立派な鷹柱を何度も観た。また、南の国に渡りをするせいで、ものすごく高い空を飛ぶ。双眼鏡で見ても、胡麻つぶくらいにしか見えない高さをまっすぐに飛んでいく。とてもいいものである。
 
解説によると、芭蕉の句にあるように、伊良湖岬がタカの名所であることは江戸時代にも知られていたとのこと。江戸時代にこれが知られていて、実際に行われていたとは考えたことがなかった。ただ、芭蕉がこの地に行ったのは当時の12月で、これは現在の1月くらいであるとのこと。サシバなどの渡りは完全に終わっている。7月に吉野に行って桜の花を見るようなものである。芭蕉とその時代が、何が分かって何が分かっていなかったのかを知ると、この行動とこの句がわかる。
 
もう一つが鳥の巣の話。私は野鳥の会の会員だが、鳥の巣はまったく分からない話題の一つである。大きな理由は、野鳥の会が会員誌で鳥の巣の写真、特に愛くるしいひな鳥がいる写真の掲載を禁じているからである。是非をめぐる議論が分かれるところだと思うが、私は特に反対していない。ただ、今号はめずらしい鳥の巣の特集で、巣の写真やイラストが満載である。鈴木まもるさんという鳥の巣の絵本を書くスペシャリストの作品もたくさん見た。また、「求愛巣」という言葉も学んだ。オス鳥がメス鳥に求愛する道具として作る立派な巣である。その記事ではセッカが求愛巣を作るとのこと。ある意味でクジャクのオスが美しい羽根を発達させて求愛の道具にしているようなものであるという。セッカについては、立派な巣を作って、メスのおめがねにかなって交尾すると、もう仕事は終わりで、子育てはメスの仕事、オスは次の求愛巣を作って次のメス鳥を探し始めるという。記事を書いた学者の研究によると、4か月で18個の巣を作って11羽のメスを獲得したのが最高記録であるという。
 
一方、これは私の個人的な経験だが、巣を作って、夏の間じゅう、ずっとメスを求めて鳴いていたが、とうとうメスが現れなかったセッカを観たことがある。数年前に家の近くにあるアシ原でセッカが巣を作り、毎日早朝から懸命に鳴いていたが、そこにセッカが来るのは珍しく、一か月以上にわたって鳴き続けたけれども、結局メスが現れなかったのではなかったかと思う。

「私宅監置と日本の精神医療史」展についてー「医学史と社会の対話」より

bit.ly

 

橋本明先生の「精神医療の歴史と私宅監置展」。日本と世界の精神医療とケアと監禁の原型である私宅監置の写真を集めて、橋本先生が解説がしてくださる展示。韓国のソウルや日本各地で開催され、2017年の9月には大阪人権博物館で開催された。2018年の3月には東京の有楽町マリオンで開催され、現在作成中の私宅監置と呉秀三に関する映画も上映されるとのこと。楽しみに待っています!

 

 

 

 

オオタカと「蒼」という色

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日本野鳥の会の南富士支部の会報「さえずり」の記事より。

 

オオタカ」というタカを時々観ることができる。敏捷で人気があるタカの仲間であるが、名前に反して、これが大きい訳ではない。タカの中では小さい方であり、トビの半分くらいしかない。なぜだろうなと思っていたら、これはもともとは「アオタカ」と呼ばれていて、それが訛って「オオタカ」になったという。

「アオタカ」というなら、どこかが青いのか。オオタカカワセミルリビタキのようなきれいな青色があるのか。もちろんそんなことはない。「さえずり」の記事はもちろんそこもきちんとフォローしていて、「アオ」といっても、「青」ではなく「蒼」であり、「蒼」は灰色のことであるという。漢字で書くと「蒼鷹」であるという。灰色の鳥の意味のアオタカからオオタカへ、そこで「大きい」という意味との混線が生じている。議論の筋は、とりあえず了解です(笑)

漢和辞典で「蒼」を引くと、実は二種類の色の意味がある。「蒼天駆ける日輪」は、もちろん青い空の話であって、灰色の空の話ではない。しかし、三番目くらいの意味に「灰白色の」という意味があり、白髪の頭のことを蒼と表現している。ここにいたのか、オオタカの灰色は(笑)

ただ、写真を載せたけれども、腹の色が白いことから「アオタカ」になったのかと開き直って聞かれると、そこもちょっと分からない。 

 

沖の島の禁足の地

 

日本野鳥の会 : Toriino (トリーノ)

 

日本野鳥の会の季刊誌である Toriino に、藤原新也が連載をしている。いつも鳥とは無関係だが胸に響く文章を書いている。今回もそのパターンで、九州は玄界灘の沖の島の世界遺産についてのいい文章を書いている。世界遺産というと、日本と世界から観光客を呼び込むこと話ばかりになってしまい、虚しい気持ちになることが多いが、沖の島はその反対で、むしろ禁足を強めている部分すらあるという。これまでの禁足の地であった神社の中枢の部分に、写真家として初めて招待されて、そこを撮影することが許されたという。しかし、三日間の滞在で風雨が続き、やはり拒まれたのかと思っていたら、最後の日の朝に、たった15分間だけ、早朝の美しい光に包まれた森を撮ることができたという。Toriino にもその写真が掲載されているが、当たり前であると同時に、魔法と神業のように美しい写真である。

藤原さんは、ヴェネツィアの猫を撮影した写真を観て、非常に感銘を受けた。黒人男性のヌード写真も憶えている。どちらも私が大学生の時に観た作品だと思う。

鶏冠単位?

sizes.com

「鶏冠試験」の続報。もうちょっと難しい実験の作法があって、「去勢オンドリのとさかをどれだけ高くすることができるのか」という概念で、男性ホルモンの効力が図られていた。その実験と測定を含む試験のことかもしれない。これは、1950年までは男性ホルモンの効力を測る国際的な基準であったとのこと。上のサイトに説明があるけれども、上の説明と下の説明が食い違っており、よく分からない。

鶏姦試験(笑)

武田長兵衛商店が医学・健康系一般雑誌に出した広告。雑誌は昭和12年の雑誌『優生』で、不二出版から復刻されている。広告されているのは男性ホルモンの「エナルモン」である。勃起力減退や早漏などに効くとのこと。優生学の一般的なイメージにふさわしくないが、優生学というのは多様性が非常に大きな考え方であるから、そこで薬が広告されていてもよい。多くの学者がそうだと思うが、「鶏冠」をちょっと読み違えて「鶏姦」となってしまい、あせっただけです。

「鶏冠」はもともと「とさか」の意味で、鶏冠とは英語で caponで、オスだが睾丸を持たないようにしたニワトリである。きちんと調べていないが、自身の睾丸を持たないので、実験的に与えられた性ホルモンの影響を調べるのに好適なので、20世紀に入って医学生物学でも用いられるようになった。もともと食用として古代から使われていたとのこと。「鶏姦」は男性同性愛の意味。「鶏の一穴」(とりのいっけつ)という言葉があり、鶏は糞と尿が同じ場所から出るから、穴が一つしかないことに、肛門の一つの穴しかない男性との肛門性交をかけた言葉であろうとのこと。

 

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