アンソロポシーン Anthropocene の多様性の問題

www.academia.edu

日本学研究者の Julia Adeney Thomas 先生。アンソロポシーン Anthropocene の問題を取り上げた記事。簡潔で明晰な表現でその複雑さを表現しています。

Anthropocene という言葉の日本語訳の問題。「人新世」という語が使われているようですね。もちろん地質学上の概念としての -cene を 「-世」と訳す、anthropos を「人」と訳すという枠組みだと思います。しかし、他の 「世」を並べることができる学者がどのくらいいるかというと、私は一つも言えないです。もしかしたら、科学と社会がどう関係を持つかを象徴しているのかもしれない。参考までにウィキペディアをアップしておきました。

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ウィキペディアより。地質時代の名称に関して。

 

朝鮮の庭と薬草と植民地時代の教化について

https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20190127180747.pdf?id=ART0000850470

 

久保, 賢. 在鮮日本人薬業回顧史. 在鮮日本人薬業回顧史編纂会, 1961.に掲載の論文から、朝鮮には家に庭を作り、そこに薬としての機能を持つ植物を植えるかどうかという議論が少し出てきたのでメモ。

川口利一「在鮮役人生活二十年」439-454.
昭和5,6年の頃、総督府の食堂での食後の茶飲み話に花が咲いて、池田医務局長が「朝鮮統治がうまく行かないのは、民心に潤いがなく、無味乾燥の生活をしていることに少なからず影響を受けている。これを教化する一つの方法として、庭先きや空き地に草花や果樹を植えさせ、民心を和らげてやったらどうだろう」とのこと。私は「朝鮮人が屋敷に樹木を植えないのは、屋敷が狭いという以外にこれを植えると家屋に湿気を呼び病人が出るという迷信があるからである。薬草には鑑賞用になる草も木もあるから之を奨励し、その上にここには漢方の知識のある人も多いから薬草から漢薬を作って利用厚生に資したらどうだろう」という。
 
一方で、朝鮮に庭がないことがありえるのだろうかという疑問は、当然ある。「朝鮮に庭はある」という当たり前のことを論じている論文は、冒頭に掲げたけれども、当然のようにある。日本にも個人のお庭はそこそこあるけれども、おそらく、イギリスやNZに較べると、「日本には庭がない」ということになるのと同じ議論のような気がする。

 

薬の歴史の背景

道教と医学の間には強い関係が存在した。ことに、医学の中でも本草に対して道教が持った影響は、中国と日本においても、古代と中世において、より強力であった。古代のアニミズムと宗教を強く持つ道教は、似たような傾向を持つ医学と結びついていた。ことに本草は、神仙へのアプローチの重要な方法であった。中世においても、錬金術的な加工で霊薬を作る方法が流行し、失敗例も多かった。これは、薬が持つ魔術性と、道教が社会と合理性に対して持つ批判性を示唆している。
 
しかし、中国では宋代になるとともに、本草がより儒学的な性格を持つようになった。儒学は、君主の権威を支える学問であり、父親の権威に従う学問であった。それと関連して、多くの書物や手稿へのアクセスを持つことが重要な特徴であった。そのような性質を持つ本草学が中国においては宋代に発展し、元代や明代においては、膨大な数十巻の博物誌となり、自然界における情報を合理的に管理する特徴を持つようになった。
 
ヨーロッパの初期近代の医学においては、書物と自然の双方への興味が発展していく大きな動きが存在した。人文主義の発展と、自然を観察する技術の発展を、二つの大きな革新として進展した。大学や医学校で教育される医師たちの多くがラテン語ギリシア語をマスターして、古典語で書かれている書物を所有することが重要な基礎的な活動の一部となった。書物を軸とする文化の発展である。それと同時に、ヨーロッパ圏内、あるいはそれよりも広い圏内を対象にして、それぞれの地域の動植物と鉱物を観察して、その記録を印刷技術で再生産することも発展していた。自然界の観察を軸とした博物誌である。多くの医師たちが、書物と博物誌を合体させて優れた業績を発表し、コレクションを形成していた。Sir Hans Sloane は医師であると同時に、イングランドやヨーロッパとその周辺だけでなく、アメリカやジャマイカから植物を収集した大英博物館の基礎を収集した博物誌の学者であったし、Albrecht von Hallwer は、動物実験をもとにした科学者であると同時に、ドイツやスイスの植物学の権威でもあった。人文主義と博物誌の双方の発展は、ヨーロッパの初期近代を支える駆動力であった。
 
中国と日本においても、類似の現象が起きた。書物への関心と、自然への関心が共存するというパターンである。日本では、将軍や武将という武力を軸とする価値観と微妙な関係を持ちながら、書物と自然の双方を一人の人物が担うという傾向が強い個性とともに存在した。ことに1600年以降には、李自珍『本草綱目』が非常に重要な博物誌であり、日本ではそれに基づいて独自の博物誌を発達させていた時期には、書物と自然を存在させた。日本の重要な医師であり博物学者である小野蘭山は、『本草綱目啓蒙』を刊行したが、彼がその道に進んだ重要な契機は、中国の清国の陳扶揺が17世紀末に執筆した『秘伝花鏡』である。そこでは「ただ書物と花とを好む」生き方である。「半分は書物を調べ、残りの半分は園、林、花鳥に情を寄せている。世の人の多くは私を笑って「花癖」といい、「書痴」とよぶ。ああ、読書こそは儒家の務なのだから、どうして「痴」といえようか」という。儒家の傾向としての書物を読むこと、それが植物や花という自然物であること。このような志向を共有した蘭山も、同じよう数多くの書物を読み、本草に熱中してフィールドワークを行った。晩年は幕府に呼ばれて、江戸で医学生本草を教えると同時に、日本全国の地方を回ってフィールドワークを行っていた。

聖書と万葉集の植物比較

中尾, 佐助. 花と木の文化史. vol. 黄版 357, 岩波書店, 1986. 岩波新書.

この本を読んでいたら、聖書と万葉集の植物比較があった。どう解釈するのか私にはまったく分からないが、一つ面白いのは、食べ物や果物や薬のような植物ばかりである聖書に対して、万葉集には実用植物がまったくないという指摘。なるほど。

聖書 万葉集
ブドウ 193 ハギ 138
コムギ 60 ウメ 118
イチジク 52 マツ 81
アマ 47 モ(藻) 74
オリーブ 40 タチバナ 66
ナツメヤシ 27 スゲ 44
ザクロ 26 ススキ 43
オオムギ 26 サクラ 19
テレピンノキ 19 ヤナギ 30
イチジクグワ 8 アズサ 33

 

 

週刊医学界新聞と阿川佐和子さん

www.igaku-shoin.co.jp

今週の医学界新聞では、哲学者の村上靖彦先生と看護・リハビリセンター所長の藤田愛先生の対談。村上先生の質問と藤田先生のお答え、どちらも面白かった。それを書こうと思って週刊医学界新聞のサイトを見たら、先週の阿川佐和子さんのインタビュー記事がまだ掲載されている。こちらもとても面白いからどうぞ。

植物のカラー(オランダカイウ)の毒性について

しばらく気になっていた中世ヨーロッパの植物の本草学について。中世の英語で書かれている写本で、大英図書館が所蔵している。そこに毒蛇も描いてあることが、毒性をあらわしているのだろうなと予想させる。少し調べてみた。

 

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British Library 所有の写本より

イラストは現在の英語では calla lily と呼ぶ植物で、日本語の園芸店では「カラー」と称して売っている。現在のカラーも実は生きた段階だと毒性が強いという。Wikipedia などに書いてある。私も園芸カタログで見た記憶がある。ただ、新鮮でなくなると、毒性が消滅するか弱くなるらしい。

日本で同じ認識で毒性植物としたもう一つの名前付けがある。「海芋」(カイウ)、あるいは水芭蕉である。字引には「オランダカイウ」とあり、「カイウ」というのは「海芋」と書く。「海芋」はもともとは何かと思って現代語の事典を引くと、現在の私たちが「カラー」と呼ぶものと書いてある。これは何か循環している字引の機能になってしまう。日本国語大辞典をひくと、問題が解決した。江戸時代には水芭蕉のことを「海芋」と読んでいる。「かいう」をひくと、「植物「みずばしょう(水芭蕉)」の異名」とあり、小野蘭山『本草綱目啓蒙』の一つだと思うが、『重訂本草綱目啓蒙』〔1847〕には「一三・毒草「海芋 みずばせう 観音蓮」」とされている。基本は毒草である。しかし、日本の北部や山岳地帯では、非常に有名になっている花であり、ウィキペディアでの記述は豊かである。山岳に上るのが好きな人たちは、これに癒されるのだろう。

 

 

ja.wikipedia.org

フロイト家・ティファニー家・戦間期ウィーン

historypsychiatry.com

フロイト自身はなかなかお洒落だった。ウィーンという世界の都の一つで暮らし、富裕なユダヤ人たちを相手に開業していたことも大きい。フロイトの稼ぎのおかげで、彼の娘のアナ・フロイトも、富裕であり、芸術とかかわりながらウィーンで暮らしていた。アメリカのティファニーという成功した宝石商の家の娘がウィーンに来ていて、彼女と協力しながら、アナ・フロイトはキャリアの最初の部門を始めていた。アナ・フロイトティファニー家の娘との関係、そこにフロイト父がどう関係するのかを伝えてくれる。写真や史料や論文も数多く掲載されているとのこと。ティファニーの宝石自身と関係はないと思うけど、面白いかもしれない。