戦争捕虜と疾病

 プロシア=フランス戦争の際のフランス人捕虜が引き起こした天然痘の流行についての論文を読む。
 しばらく前にフィリピンのコレラの地理学について紹介したが、同じケンブリッジの疾病地理学のチームによる「戦争と疾病の歴史地理学」シリーズの一つ。今度は1870年のプロシア=フランス戦争と疾病の伝播について。
 1870年の1月に天然痘の流行がパリで始まった。病気の起源はインドからだという。種痘が強制でなかったフランスにおいて、流行は広まり続け、流行を抱えたままその年の夏にフランスはプロシアに宣戦布告する。この戦闘において捕虜になってプロシアに連行されたフランス兵から、プロシアの民間人に天然痘が伝播する。プロシア陸軍においては、種痘と再種痘が強制されていたので、犠牲者はほとんどいなかったという。
 この事実は、戦争と人口移動と感染症について色々とヒントになる。国の政策によってそれぞれの国民ごとに免疫保持のパターンが違うことと、ある国の中で特定の集団は特別な免疫を保持していることが組み合わさって、感染症への感受性は地理的にモザイク状になっていることは、銘記しなければならないだろう。また、軍隊の駐屯地というのは、人工的に免疫を与えられた免疫的スーパーマンの集団と、そうでない民間人がいたところであるというのも忘れてはならない。少し前から、日本の軍隊の衛生が大いに気になっている。先週の学会で、ある医者の先生に話したところ、「軍医学の問題というのは個人的に悲しい思い出がある人が多いですから」とやんわりとたしなめられた。 そういえば、小菅マーガレット信子さんの戦争捕虜の衛生の研究も、イギリス側の資料と聞き書きを使っていた。

文献はMatthew Smallman-Raynor and Andrew D. Cliff, “The Geographical Transmission of Smallpox in the Franco-Prussian War: Prisoner of War Camps and Their Impact upon Epidemic Process in the Civil Settlement System of Prussia”, Medical History, 46(2002), 241-264. 言及した小菅さんの論文は、小菅隼人編『腐敗と再生-身体医文化論 III 』(慶応大学出版会、2004)に収録されている。