身体化されたフィクション


 10年ほど前に出版された19世紀の文学作品における「身体化」の研究書を読む。文献は Vrettos, Athena. 1995. Somatic Fictions: Imagining Illness in Victorian Culture (Stanford, California: Stanford U.P.) (文献を掲げる位置を変えました)。

 身体化 (embodiment) は、この20年ほどの研究におけるキーフレーズの一つである。主にフェミニズムやポストコロニアル研究の流れを汲む研究者たちが、文化的な規範が刻み込まれ、その規範に対する闘争が行われるべき社会的・政治的な空間としての身体という魅力的な概念を導入してから、身体化を主題にした研究が怒涛のように現れた。 - と私は思っているが、これを書いていて、実はこの領域の研究史の流れを必ずしも把握していないことに気がついた。(ブログを書く一つの利点は自分の無知を思い知ることだとつくづく思う。)どなかか、この視角の研究の流れを的確にまとめた本か論文を知らないかしら? 

 身体化の研究の流れの中で、性差や人種などと並んで、「病気」は重要なトピックになっている。ヴレットはこの事情を、現象学の視角を使ってうまく説明している。我々が健康なときは、我々の自己は、皮膚によって囲まれた身体を当然としてそこに「安住」している。病気になってその自明性が失われると、身体の社会性があらわにされる。この個人と社会の関係が調整され交渉される力学を映す場として、文学作品における病気の身体化を読むという戦略をヴレットは採っている。

 例えば、ハーバート・スペンサーは、自分の不快な感情を表に出してしまう女性や、男性(配偶者)の感情を<読む>ことができない女性は、淘汰されてしまって子孫を作ることができないという内容のことを言っている。これをヴレットは、感情の身体化と、身体をテキストとして読む行為が対になってジェンダーバイアスがかかっている事態を象徴することとして捉える。スペンサーが言っていることはともかく、ヴレットの分析は面白い発想だと思う。私は昔、精神病の症状のジェンダーバイアスを分析しようと考えたことがあった。そうか、こんな風に考えることもできたんだ。

画像は19世紀の往診風景 ウェルカム図書館のコレクションから