永劫回帰する流行病

 しばらく自殺のリサーチに集中するべきだということは頭では分かっているが、分かれば分かるほどつい現実逃避してしまう。今日までに返さなければならない本だからという理由をつけて、20世紀初頭の疫学の書物を熱中して読む。文献はGill, Clifford Allchin, The Genesis of Epidemics and the Natural History of Disease (London: Bailliere, Tindall and Cox, 1928)

 20世紀の初頭のイギリスで、流行病の盛衰を洗練された数学的なモデルを使って説明しようとする理論的な疫学が誕生する。Major Greenwood や William Hamer などの理論疫学の開拓者たちがどんな文脈で仕事をしたのかという問題は、意外に研究されていない医学史の一つの盲点である。この文献の著者の Clifford Allchin Gill は、Oxford DNBにも掲載されていないのでよく分からないが、インドのマラリアの研究から、疫学の一般理論を作り上げようとした。その一般理論というのは、ペストだろうかコレラだろうか適用できるもので、感染の量と免疫の量の平衡が崩れたときに流行病が発生するという。量が問題になっているということで、ギルはこの理論を流行病の量子理論 quantum theory of epidemics と名づけている。

 面白いことが山のようにあって、2時間読みふけってしまった。その中でも、流行病の時間性の把握が一番面白かった。明治から大正の日本の疫学の記述を読んでいると、文明の進歩とともに流行病は減少するという単線的な時間の把握ばかりである。しかし、同時期のイギリスで形成された疫学は、むしろ「サイクル」という円環的な時間に注目する。それは季節性でもあるが、それよりも長い、理論的には数百年のサイクルも想定されている。たとえばペストについてギルは次のように言う。ヨーロッパではペストは17世紀の後半に突然ミステリアスに消えた。たしかにこの250年間、ヨーロッパにペストの流行はない。しかし、同じようにインドでも17世紀にペストはミステリアスに消え、250年後に帰ってきて膨大な死者を出した。同じように、我々が制圧して過去のものにしたと思っているペストも、いつヨーロッパに帰ってくるかわからないではないか。流行病というのは単線的な時間を描くのではなく、長期波動を伴って帰ってくるものとして構想されている。そして、この円環的な時間性を中心にすえる疫学が「インド」での経験に基づいているのは示唆的である。

 これ以外にも、ヒントが満載。たとえばインドのペストについてのある医者の言葉。「インドの米作地帯にはペストはなく、小麦作地帯はペストが侵淫している」 ・・・なんだって・・・!!!! しかし、調べたい誘惑を振り切って、自殺研究に専念しないと(笑)