自殺と関係が全くないわけではないと言い訳しながら、日本犯罪史上空前の大量殺人事件のノンフィクションを読む。文献は筑波昭『津山三十人殺し』(東京:新潮文庫、2005)
昭和13年、岡山県の僻村で22歳の都井睦雄という若者が一夜に村人30名を猟銃や日本刀で殺傷し、自分も自殺する凄惨な事件が起きた。この事件を取材したノンフィクションの名著である。横溝正史の『八つ墓村』のモデルにもなり、松本清張がドキュメンタリーを書いたりしているから、そちらのほうが有名かもしれない。(私はどちらも読んでいないけれども。)
事件の背景をものすごく単純化して話すと、次のようになる。都井は小学時代は学業優秀であったが、家庭の事情で中学に進学できず失望していた矢先、肋膜を病んで無為な生活を余儀なくさせられる。その診断は、彼が幼い頃両親の命を奪った死病「結核」へと、速やかに不可避的に変わっていく。結核の診断を受けてから彼の人生はすさんでいく。人と会わずに家の二階に引きこもる。外に出ると人妻や娘、誰彼かまわず情交を迫り、金銭や脅しで次々と関係していく。こういった振舞いは、都井を村の問題児として孤立させ、彼の疎外感と怨念は増幅されていった。いつしか彼は猟銃などの武器を数度にわたって購入し、結構の前日には送電線を切断して村の夜を暗黒化せしめ、人々が寝静まった深夜、自宅の祖母を皮切りに凄惨な犯行を開始する。
この書物の出来映えを素晴らしいものにしているのは、立体的な構成である。都井個人の心、彼の家の事情、そして閉鎖的な僻村など、小さな世界の出来事を記述した部分と、大都市の世界や、全国メディアで報道されるような大きな事件の世界をぴったりと重ねあわせている。都井が時折大阪に出かけ、知り合いの手引きで北国分寺町などで娼婦を買っていたこと、猟奇的な事件(先日の坂田山心中もその一つだ)の新聞記事を切抜いていたこと、地下出版された阿部定事件の裁判調書の最も露骨な部分を筆写していたこと、そして事件の直前に阿部定が住んでいた大阪の高級娼婦の住吉アパートで娼婦を買っていることなどなど。このノンフィクションが描き出す都井の凶行は、遠い世界の僻村の変質者のそれではなく、大都市と肉体とメディアで結び付けられた現代世界の住民なら誰の身にも降りかかりうることになっている。
驚嘆すべき量の調査に支えられ、そして驚嘆すべき幸運に恵まれて、このノンフィクションは傑作になっている。まだ読んでいない方は、ぜひお読みください。あえてこの書物の欠点を一つ上げるとしたら、巻末の「解説」である。永瀬隼介という作家によるもので、私は寡聞にしてこの作家を知らないが、少なくともこの「解説」は、筑波昭の傑作にふさわしい内容ではない。