精神外科の系譜についての論文を読む。文献は、Berrios, G.E., “The Origins of Psychosurgery: Shaw, Burckhardt and Moniz”, History of Psychiatry, 8(1997), 61-81.
ハーマン・ベリオスはケンブリッジ大学の精神医学教授。精神医学の歴史についての世界的な権威の一人である。ベリオスの問題意識・方法論・スタイルのどれを取っても、文系の精神医療の歴史家たちには激しく不評だが、医者たちには圧倒的に人気がある。すさまじく沢山の論文を書いている上に、学生との共著論文なども多いので、かなり当たり外れはあるが、彼の論文は丁寧に読むべきものが多い。この論文も期待にたがわぬ重要な議論をしている。
しばらく前に、1880年代のスイスで先駆的なロボトミーの治療を行ったブルクハルトという医者と、ロボトミーの公式な発見者のモニスの理論構成を比較してその違いを強調した傑作の論文をブログで取り上げた。ベリオスは両者だけでなく、1889年のクレイ・ショウ Claye Shaw の精神外科学的な手術をきっかけに94年まで続いた論争も射程に含めている。そして、この三つの精神外科は基本的に同じパラダイムに属し、三つの重要な前提を共有しているという。
ロボトミーは精神医学者にとっては、自らの職業が行ったということを思い出したくない野蛮な行為である。やけっぱちの治療がたまたま流行したと思いたいところである。そこを、ある大きな知的な構造の中で始めて構想されたものであるという点に着目したのがベリオスらしいところである。
一つは当然のことながら、局在論的な脳のモデル。もう一つは、脳のある部分を破壊することによって、望ましくない行動は取り除かれるが、別の望ましくない行動が惹き起こされることはないという理解。(ロボトミー患者の特徴は、表現しがたい「欠如」「空白」であって、何かが「付け加わった」わけではなかったことを思い出そう。)最後の一つは、精神病は<複数の>機能損傷からなり、精神外科学はそのうちの<一つの>症状を取り除くことを目指すもので、病全体を治療することを狙ってはいないという、精神病とその治療のモデルである。
特に第二、第三の指摘は、現役の精神科の教授ならではのもので、鋭く深い。これ以外にも、鋭い指摘が満載の、精神外科学の歴史の必読文献である。