1930年代の精神医療

今日は資料の紹介。1930年代からのイギリスの精神病院、特にモーズリー病院(色々な意味で、日本でいう松沢病院に当たる)を中心に、精神医療に携わった医者の短い回想録である。この手の資料は、病院のアーカイヴそのものと較べて資料価値が低く見られることが多い。私自身、こういった資料しか手に入らない場合には、精神医療の「実態」の議論はしない。しかし、気をつけて読めば、色々なヒントを与えてくれる。文献は、Slater, Elliot, “Psychiatry in the ‘Thirties”, Foreign Affairs, 77(1998), 70-75
 
 1930年代、精神医療を専門に選択しようと考えていた優秀な医学生は殆どいなかったこと。当時人気があった専門科は神経学だったこと。学生にとっての精神医学の臨床講義は一学期に数回ロンドンの近くの私立精神病院に行くことだけだったこと。このあたりはプレディクタブルである。しかし、それにもかかわらず、神経学のコンサルタントが扱う症例の半分は精神科のそれだったことというのは驚いた、というか、そんな問題を考えたこともなかったのでうろたえた(笑)。 ロンドンのMEさん、これは本当だと思う? 

 もう一つはっとしたのが、これはモーズリーでの話だと思うが、インシュリン療法は危険だったので、特別に作られた医療チームで緊張してやっていた。そのため、医療チームの団結を強め、チームと患者との結びつきを強くした、という回想である。医療チームの団結云々は考えたことがないから良く分からないが、確かにある患者のインシュリン療法が始まると、その患者に投入されるケアとアテンションが非常に上がるのは感じていた。モニターの精度が細かくなることを資料から感じられる、とでも言うのだろうか。それを「結びつきが強くなる」と表現することも、できるかもしれない。別の時代のある医者は、インシュリンとともにオプティミズムが精神病院に感じられるようになったといっている。一方で、昨日紹介した松本昭夫はインシュリン療法への批判を口にしている。