北米の優生学


Dowbiggin, Ian Robert, Keeping America Sane: Psychiatry and Eugenics in the United States and Canada 1880-1940 (Ithaca: Cornell University Press, 1997).
アメリカとカナダの精神医学と優生学の複雑性を、実際に精神病院などにおいてワゼクトミーなどの断種手術に携わりながらその実用性・実行可能性・当時のさまざまな水準と意味における道義性に着目しながら記述した著作。アメリカやカナダでかつての優生手術の倫理性が疑問に付され、施術を受けた患者が賠償を求めて訴訟するなかで、優生学がナチスと結び付けられて「批判しつくされるべき過去の悪」として注目を集めていた時期に、優生手術をめぐる事態の複雑さを、アーカイヴのリサーチに基づいた歴史研究で明らかにしたのは、「玄人受け」と言えばそれまでだけれども、私は非常に重要な仕事だと思う。

主人公の一人が、ブルーマー(George Alter Blumer)という、イギリス出身でアメリカで成功して精神科団体の長にまで上り詰めた精神科医である。彼は公立の精神科病院で、医療によって何もできず、ただ慢性化して蓄積されていく公費の患者の群れを見る精神医療を経験すると同時に、私立の精神科病院で裕福な患者のアルコール依存症などを治療するというような、別の社会的な構造の上で成立した二つの精神医療を経験していた。彼の優生学と断種に対する態度は、この二つの精神医療のどちらを重視するかによって変化してくる。彼が公立の精神病院をもとにして語るときにはロンドンのモーズリーやエディンバラのクルーストンに賛成して断種にシンパシーを示すが、富裕なアメリカ人の家庭の将来について発言するときには、断種に反対の態度を示す。たとえば、彼自身が1914年に講演をしたときにそのイラストレーションに配った風刺漫画があるが、そこでは、「愛に基づいた結婚」に、医学と健康に基づいた結婚が取って代わった様子が漫画にされて風刺されている。精神科の医者にとって、優生学への態度というのは、もともと大きく変化する可能性を含むものであったのである。