ジゲリストと断種

H.E. ジゲリスト『文明と病気』上・下、松藤元訳(東京:岩波書店、1973)
ドイツからアメリカに移住してアメリカの医学史研究の基礎を築いた医学史家のジゲリストは、ナチズム全体に対しては激しい批判をしており、ナチスの断種政策についても「非科学的」であると批判していたが、断種それ自体については慎重にその価値を評価するという姿勢を取っていた。現代の倫理観には合わないかもしれないが、これは当時の一つの有力な姿勢であった。

それを論じている一節で、ジゲリストは、宗教に基礎を持つ考えが力を伸ばした結果、皮肉なことに人間社会は障害者という「重荷」を負うようになったと言っている。かつては、スパルタにおける障害者や低能者の育児放棄が公式の政策であったことが象徴するように、障害者や精神障害者は情け容赦なく滅びるよう定められていた。しかし、近代にいたって、その原則が適用しないような仕組みが作られてきた。インドでは魂の輪廻の信仰と万物を憐れむという仏教の根本原理からあらゆる生物・人間・動物の生命が尊重され、西欧では魂の不滅についてのキリスト教の信仰、生の目的は救いであるという考え、隣人愛、人道主義が同じ結果をもたらした結果、人間社会は障害者の重荷に苦しむようになった。だから、断種は、慎重に研究して、どうすれば効果があるのかどうかを見守るべきであるという論調である。

これは、断種の問題を、「宗教と科学の闘争」の一つの亜種の問題に重ねあわせる議論であろう。この時期の科学史研究の一つの大きな主題は、人類の歴史を宗教と科学の闘争として捉えることであった。ガリレオ裁判とかそういったことが科学の歴史と人類の歴史の主要な駆動力が衝突した、特権的な歴史的な事件だと捉える史観である。このタイプの史観は、日本では村上陽一郎が執拗に批判したし、現在では真面目に唱える研究者はいないだろうが、20世紀の前半には、マルクス主義の影響もあって、宗教と対立する科学的なものの見方の勝利を唱える科学者・医学者が多かった。彼らは、宗教と科学の対立の中で科学が勝利する事件を探していた。ジゲリストにとって、断種は「科学の勝利」のシナリオの一つであった。

気になるのは、このインド云々の議論である。インドや仏教圏における伝統社会の障害者福祉のことを考えているのだろうか。この、医学史にドイツ史学のヴィッセンシャフトリッヒな水準を持ち込み、医学史を厳密な学として打ち立てたとして記憶されている医学史の父は、史実としていったい何を考えているのだろうか。