日本優生学と精神疾患実態調査

「精神疾患実態調査」の論文を書かなければならず、最後のまとめに入っている。議論のポイントは6つ。

1. 国民優生法(1940)の制定とともに、特定地域の精神病患者を悉皆的に診断し、その実数と家系を確定する「実態調査」が20件ほど行われた。(図参照)患者が病気になって医者に来るタイプの医療とは違う形式、疾病に罹患している人間を探して特定して人口の健康を調査する近現代の医学権力が、日本の精神医学に大規模に適用された最初の事例である。

2. 優生学の国際性と20世紀後半への連続性を証するかのように、類似の調査は同時代の欧米諸国でも実施され、戦後には大規模な国内調査が行われ、WHOが類似の方法を用いて国際調査を行った。(ドイツの人口学的・優生学的な精神医学の指導者で、ナチスに協力し、戦犯として日本側の調査の主人公は1936年から東大教授であった内村祐之であり、内村がドイツで知己となり、ナチスの断種法に大きな影響を与えたエルンスト・リューディンのを応用したものであった。内村に学んだ台湾の林宗義Lin Tsung-yiWHOの精神疫学研究を進める主体となった。)

3. 内村が1930年代の北大教授時代に行ったアイヌの精神病調査が、1940年代の優生学的な調査の原型になった。

4. 優生学的な調査は、島嶼や僻地など孤立的・閉鎖的な地域が選ばれて実施された。孤立した地域における血族結婚と精神病の遺伝・淘汰の関係を実地に調べるためである。アイヌの精神疾病の調査は総じて文明と非文明を対比するために行われたが、これらの孤立した地域は、いまだ日本民族に存在する伝統的な婚姻と生殖の代表として捉えられた。

5. この調査は、国家・精神医学と地域行政が支えたことはもちろんだが、地域共同体も総じて積極的に協力して、住民が家系図における精神異常者の報告を積極的に行った。その結果、近代的な統治・学問である優生学的な調査の中に、近世的な村落共同体の価値観や「スジ」の概念が織り込まれることになった。

 

6. 国民優生法のもとでの日本の優生学のある重要な部分―おそらく中枢に近い部分―は、血族結婚への反対にあった。村落内やその直近で婚姻し生殖する江戸時代の生物学的な再生産のモデルと隣接する血族結婚は優生学的に誤っているから、そこから離脱しなければならない。一方で、この構図は、近世村落における精神医学的な障碍者との婚姻と生殖を忌避する概念を近現代社会においてむしろ強化させた。

 

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