Paul Lerner, Hysterical men : war, psychiatry, and the politics of trauma in Germany, 1890-1930 (Ithaca: Cornell University Press, 2003).
医学史の研究者にとって必読の書物の一つ。第一次大戦時のドイツでは、合計で約20万人の戦争神経症の患者が発生し、その原因や治療法などが、世界最高水準の精神医学者たちによって非常に活発に議論された。一次大戦期のドイツにおける議論は、アジア・太平洋戦争の日本における戦争神経症についての議論と重要な仕方で重なるので、この書物を繰り返し参照している。今回は、大きなまとめを一つ書いてみる。
第一次大戦時の戦争神経症は、19世紀後半から問題化された「鉄道脊髄症」や「外傷性神経症」などと類似し連関した精神疾患だと考えられていた。この精神疾患は、近代ドイツの三つの重要な契機、すなわちビスマルクの社会保障、第一次大戦の総力戦、そして1918年のドイツ革命との関連の中で理解される。
社会保障と総力戦の時期に、これらの神経症の解釈に心理的な要因が重視されるようになって、身体的な解釈が重視していた鉄道事故の衝撃や砲弾のショックなどの衝撃は強調されなくなる。心理的な要因の中で特に重視されたのは「意志」であった。特に戦争が始まると、ドイツ民族が戦争に勝つことができるのはその強靭な意志の力のためであると唱えられた。意志こそが国民の中枢であった。しかし、戦場の危険から逃げたいという恐怖や、社会保障の制度によって生まれる年金や傷痍軍人の年金への欲求などによって「病への意志」が固定されてしまう現象として理解された。そのため、年金を支払って解雇する方式であれ、ノンネの催眠療法であれ、カウフマンの電気療法であれ、何らかの手段を用いて病への意志に代えて健康への意志を生じさせることが治療の機制となると考えられた。労働者であれ兵士であれ、自己と人格の根源にある意志を操作する行為に精神医学が到達したのは、社会保障と総力戦の文脈の中であった。
画像は、1917年にイギリスのネトリー病院で撮影された戦争神経症の患者の映像から。以下のサイトで動画を観ることができる。