ドイツの「男性ヒステリー」論

Lerner, Paul, Hysterical Men: War, Psychiatry and the Politics of Trauma in Germany 1890-1930 (Ithaca: Cornell University Press, 2003)

ドイツにおいても、第一次世界大戦は愛国的な興奮の中で始められたが、すぐに、前線の兵士たちの間に奇妙な病気が広まっていった。いわゆる「負傷」はしていないのに、頭痛、手足の震え、麻痺、痙攣、不眠、情緒の不安定などをともなった病気が、あたかも感染症であるかのように広まった。これらは最終的にはある種の「ヒステリー」であると判断された。もちろんヒステリーというのは長いこと女性の病気であったが、すでに、19世紀の末には、シャルコーなどによって、男性がヒステリーにかかることもあることは論じられていた。この病気に対しては、患者は精神に問題を持ち、恐怖やストレスが直接の原因となり、催眠、隔離、暗示などが治療に用いられた。

この病気は、それが「シェルショック」「戦争神経症」と呼ばれるように、もちろん第一次大戦の過酷な環境と深い関係がある。しかし、だからといって、近代戦争とともに突然生まれた診断ではないことを本書は強調している。(非常に優れた書物だが、ここが一番優れている部分だと思う。)大戦中に形成された診断「男性ヒステリー」は、1880年代以降のドイツにおいて、急速な工業化・都市化・近代化の激動の中で実施されたビスマルクの社会保険政策が生み出した、労働者の心理的な障害についての医学と社会の論争を背景として持つ。この論争に核にあったのは、「外傷性神経症」(traumatic neurosis) であった。

工業化(第二次産業革命)が生み出した鉄道や重工業は、鉄道員や労働者が鉄道事故や機械の落下などの大きな事故にあい、その後、目に見える傷がないにもかかわらず不眠・頭痛・麻痺などの症状が続くケースを生み出した。イギリスで「鉄道脊髄」と呼ばれたのと同じ病気である。これらの病気の訴えは、決して多くはなかったが、数量的な意味というより、むしろシンボリックな意味があった。この病気を、真の疾患として認めて補償をするか、それともこのような訴えは真でないかという問いは、これからの産業を支えるにふさわしい精神をもった労働者をドイツが持っているかどうかということと直結していたからである。労働災害のあと、いつまでもよくわからない身体の不調を訴え続ける労働者は、資本家たちにとっては産業の発展を阻害するような怠惰な労働者であり、障害の見返りの補償ばかり狙っている寄生者であった。このような人物は産業の裏切り者であり、断じて許してはならない。ビスマルクによる一連の社会保険立法のあと、1889年に、外傷性神経症を補償の対象にしたときに、医者たちの多くは、このような疾患を「保険神経症」「年金神経症」などと言い、年金を狙いにした詐病であるという態度を示した。

この資本家の発想を、多くの医者たちは医療と診断の体系に取り込んだ。彼らの医学は、19世紀末ドイツの階級闘争の中に組み込まれていたのである。外傷性神経症の責任は、資本家が責任を負うべき労働事故や環境整備に原因があるのではない。その原因は、患者の側の心理の問題なのであり、脆弱な心理を持つ人間がこの病気にかかりやすいのである。この結果、精神医学は、人々の心理の価値をさだめ、その道徳的な価値を判断し、最終的にはそれを経済的な価値がある人口であるという発想を基礎において、このような病気の診断を行うようになる。