外傷性神経症(下田、1937)

下田光造「外傷に基く精神障碍に就て」『実地医家と臨床』vol.14, no.4, 1937: 25-31.
昭和12年に第50回の福岡外科集談会なる会合で行われた講演である。福岡外科集談会というのは現在も続いている組織である。ネット上で調べると、東京にも「外科集談会」という組織があり、これにならって福岡に作られたものだろう。東京の外科集談会は自身のウェブサイトを持っており、それによれば明治35年に東大の外科を中心にして、ベルリンの組織「外科専門家自由協會」に倣って、エリートの外科医たちが講演をする会合組織として作られたものであるとのこと。下田の聴衆がどのような人々であったのか分かると手がかりが得られる。

外傷に基づく精神障碍を脳震盪性精神病と心因性精神病に分けたうえで、後者にさらに外傷性ヒステリーと外傷性神経症の二種類を立てる。そのうち、外傷性神経症のほうが重視されている。この疾病は補償を要求する権利があるという意識と補償の欲望によるものであると下田は決めつける。外傷を与えた責任者、すなわち会社、官庁、喧嘩の相手に何等かの要求をする権利があるという観念を持つ場合に、この病気は発病する。この観念は、災害補償が法的に施行されていない国家では持たれないし、また、低能者や女性などではこの観念がなく、常識を持ち工場法の一節くらいは理解できる男性でないとこの観念を持てない。また、この病気は公傷の際に発現するものであり、「責任者」なるものが存在しない外傷、たとえば天災や遊戯中の災害では本症は起きない。関東大震災のときにも、多数の恐怖性神経症が出たが、外傷性神経症はなかった。これは、それが天災であったため、責任者から補償を得る欲望が生まれなかったためである。この疾病と詐病の見分け方は非常に難しい。適当な医師のいない炭鉱においては、この疾病は相手にされないし、また、相手にされないとかえって治ってしまう場合すらある。しかし、長期の詐病は珍しい。この疾病を治療する唯一の方法は、一時金を与えて解雇すること、そして責任者との関係を完全に断つことである。一時金は法律の許す最低でよいし、もし金銭の授受なしで解決できるのならそれでもよい。本症を予防する方法は、補償の法律を改正して、外傷性神経症に補償を払わないことである。

下田の議論をそのまま並べたが、特に後半部分で、下田やその周辺の医師たちが経験している、労働者の外傷性神経症についての下田の意識が前面に出てくるのが読んでいるとありありと分かる。下田は、補償のメカニズムが欲求を生み出すことを非常に強調しているが、この判断を述べる部分は、下田らが外傷性神経症で苦労したことがにじみ出てくるような文体になっているし、これはおそらく北九州の労働者のそれ、例えば炭鉱労働者の外傷性神経症であろう。そのあたりの補償と雇用の問題が下田の概念を作っていたのだろう。だから、この外科医集談会で下田の意見を聞いた聴衆というのが気になるところでもある。