高橋正義、水町四郎、高臣武史、宮司克己「外傷性神経症」『日本医師会雑誌』35巻10号,1956: 539-552.
「外傷性神経症」は日本では1920年代から既に議論の対象となっていた疾患であったが、戦後になると、その存在自体を否定する声は少なくなり、労働災害にまつわる疾病の一つとして確立したという印象を持っている。これは日本医師会雑誌が特集した4人の医者による懇談会である。高橋は東京労災病院の院長、水町は横浜大学の教授、宮司は日本鋼管鶴見病院の院長、高臣は東京医科歯科の精神科の助教授であった。
「外傷性神経症」は日本では1920年代から既に議論の対象となっていた疾患であったが、戦後になると、その存在自体を否定する声は少なくなり、労働災害にまつわる疾病の一つとして確立したという印象を持っている。これは日本医師会雑誌が特集した4人の医者による懇談会である。高橋は東京労災病院の院長、水町は横浜大学の教授、宮司は日本鋼管鶴見病院の院長、高臣は東京医科歯科の精神科の助教授であった。
ここでの焦点は労災であり、労災患者のほうは補償が問題になるからノイローゼになるが、スポーツ外傷では、好きなことをやってけがをしたのでノイローゼにならない、苦痛はあっても我慢して、双黒山、輝昇などはアキレスけんを切ってもつないでいたという。
労災のあとの後遺症や外傷性神経症について、迷信邪教は相変わらず敵とされていて、これにひたっているのが半分以上である、ここに医療が入って医者の「新しい猟場」にならなければならないと言っているのは興味深い。
「外傷性神経症」と大戦中の戦争神経症の関係だけれども、一度だけ出てくる。国府台で行われていた電気療法は、低電圧を何回もかける。どんどんかけると、意識はなくならないけれども、とても痛いんです。棍棒で殴られたように感ずるそうです。それをどんどんかけるような残虐なまねをしました。完全に強圧的な治療法ですね。そしてそれでたしかに症状はとれるのです。これは軍隊のシステムで、軍医は絶対に権力をもって患者をおさえて監督できますし、逃げるところがないし、またぎりぎりまで追い詰めちゃうというようなファクターが非常に多いためでもあると思う。(547)
高橋: [腕が上がらないという患者に対して] いったん訴えを全部受け入れる、入れてやると上がる。その上がった場合に恥をかかしちゃいかん。「おれがやったんだから上がるのは当然だ、おれはキリストだ、キリストがやったから動くようになったんだ、明日から働けるぞ、お礼をいいなさい」こうやると喜んじゃう。このコツがね。
杉:新興宗教が起こせるじゃないですか(笑)
杉:新興宗教が起こせるじゃないですか(笑)
岡西:我々は、そういうことなしに、科学的根拠をもって説明しなければならぬから、新興宗教よりももっとむつかしくなる。新興宗教のさらに新興宗教でなければならぬ。
高橋:水町さん、組んで一つ新興宗教をやろうか(笑)
水町:労災教というのでもやりなさい。
高橋:僕はそれよりも恐妻教のほうがいい(笑)
高橋:水町さん、組んで一つ新興宗教をやろうか(笑)
水町:労災教というのでもやりなさい。
高橋:僕はそれよりも恐妻教のほうがいい(笑)