加藤正明・ノイローゼ論(1955)の中の戦争神経症

加藤正明『ノイローゼ―神経症とはなにか』(東京:創元社、1955)
今回の論文のコアは、日本軍で第二次大戦中に発生した戦時神経症について、議論を二つのクラスターにシンプルに分けて、戦前から戦中にかけて観察されたことと、戦後の新しい価値観において観察されたことのあいだの、断絶と連続を確定することである。戦前のパラダイムに基づいた疾病と治療の理解と、戦後のそれが異なっているのはそれほど驚くべきことではないから、どうやってそれを明晰に書くのかという課題が一つ。そして価値観やイデオロギーの大きな断絶にもかかわらず重要な連続性があったことを示して描くという課題が一つ。そして、おそらく一番難しいのが、この断絶と連続を大きな変化の中にうまく着地させることである。

そんなわけで加藤正明の『ノイローゼ』を読んでみた。手元の資料では詳しい年月と経緯は分からないが、加藤正明は戦中から戦後にかけて下総療養所・国府台病院で陸軍の精神疾患の患者を診察する立場にあった。加藤が1955年に創元社新書の一冊として執筆した『ノイローゼ』には「戦争神経症について」という章がある。加藤が戦中に陸軍において経験したことと、戦後に「国立国府台病院」として生まれ変わりアメリカの戦争神経症の解釈の影響を受けた部分が、どのようになっているのかなと思って目を通した。

結論をいうと、非常にアメリカ的になったように見える。戦前の精神医学、たとえば櫻井のパラダイムにおいては、陸軍がもつ恩給とケアのシステムの中で、そのシステムを利用しながら患者に対することが重要なポイントであった。加藤においては、治療のプロジェクトは精神分析的な家族関係の理解と、それが精神科医への「感情転移」を通じて解決されることである。戦時神経症の最も重要な原因は家庭内でのもつれ・板挟みといった問題であり、この問題が医師に素直に話されなければならない。そして精神科医に「感情転移」される中で、神経症が治療するという、精神分析的なモデルで理解されている。ついでにいうと、旧日本軍においては、患者が軍医に対してうちとけて自己の全てを話し、あろうことか転移まで起こすということは、不可能なことであったと加藤は考えているし、また、当時の軍医たちは、<皇軍には外傷性神経症はあったとしても戦争神経症などという反軍的なものはない、そのような不届き者は存在しない>と言っていたと加藤は書いている。このように、旧日本軍の戦時神経症の理解と治療法を表面的に批判して、「お話にならないもの」として片付け、アメリカと同じ見解で病気を解釈しているという見方もできる。

戦争の末期の昭和19年には、軍隊の病院を訪れる神経症患者の72%がヒステリーであった。加藤は「日本で男性のヒステリーをこのように大量に見たのは戦争のときがはじめてであり、その症状も千変万化で、手足のはげしいふるえ、けいれん、手足が動かなくなったり歩けなくなるもの、声が出なくなるもの、目が見えなくなったり耳が聞こえなくなったり、もうろう状態になるものなど、まったくヒステリー状態の展覧会のようであった」と書いている。皇軍の兵士が大量にヒステリーに陥っているということ、戦争末期にはこれが拡大していること。たしかに、精神科の医者としては、研究の対象として面白いのかもしれないが、自国の国民に対する態度、そして自分自身に対する態度などに大きな衝撃があった事件であろう。