九大の電気痙攣療法

安河内五郎・向笠廣次「精神分離症の電撃痙攣療法について」『福岡医大誌』vol.32, no.8: 1939, 1437-40.

1930年代は、精神分裂病の治療における大きな転機が準備されはじめた時期であり、基本的には不治であると考えられていた分裂病に対して、効を奏するいくつかの療法が開発されて、戦後の向精神薬革命の前兆が現れている。1935年にメドゥーナが発見したカージアゾル痙攣療法は、「痙攣」という現象が分裂病を治療することを示唆し、より安全で使いやすい痙攣方法を見つけるレースが展開した。その中で、電気を用いて痙攣を起こす療法は、1939年にローマのチェルレッティとビニが開発した。

チェルレッティ・ビニとは独立に、九大の安河内と向笠も電気痙攣療法の方法を開発しようとして試みていた。彼らがまず行った方法は、患者の頭蓋に小さな穴を開けて注射針を挿し込んで脳髄表面に接触させ、その針を電極として交流電気を通して痙攣を起こすというものであった。これが非常に手間がかかり危険も多いなあと思っていたところ、ドイツの精神医学雑誌でチェルレッティらの論文を読み、そこから大きなヒントを貰ったという。チェルレッティの論文には、具体的な方法や装置の記載がなかったので、安河内らは自作することになったが、「大体において似たようなものではないかと思っている」と書いてあるのは、彼らがチェルレッティの記述からイメージを作り上げて、それに従って自分たちの電気痙攣の装置を作ったことを意味する。安河内・向笠に電気痙攣療法を発見したプライオリティを唱える人、あるいは独立発見だったと主張する人もいるようだが、この安河内・向笠たちの記述は、彼らはチェルレッティが発表した論文の示唆に従って自分たちの方法を作り上げたことを意味している。プライオリティはもちろん、独立発見の主張もできないことを確認しておく。これについては、私自身、詳細が分からないまま、独立発見であるかのように書いたこともあると思う。お詫びする。

電気痙攣療法の最大の利点は簡便なことである。変圧装置、電圧計、電流計、刺激導子だけでよい。できるだけ削減するとしたら、電流計もいらないし、電圧は100Vだから交流電源から直接とればよい。硬直、振顫のあと、痙攣が続き、これが40-50秒くらい続く。その間は意識を喪失している。痙攣が終わると、軽い朦朧や睡眠がある。導入時に、頭の中にかなり苦痛な電撃様の感覚があることがあり、この苦痛感のために治療を拒む患者もいる。しかし、カルジアゾールのように「アウラ」と言われる痙攣の前兆のような苦痛感はない。