ドイツの戦時神経症の治療

ドイツの第一次世界大戦期の戦争神経症研究についてメモ(Ben Shepard) 

ドイツにおいては、大学の精神科の教授レベルの優れた医師たちを総動員した戦争神経症の研究と治療のプログラムがすぐに始まった。その中で、1890年代に外傷性神経症について論争された内容である身体的か心理的かという議論が再燃した。そのうち二人の医者についてメモ。一人は、ハンブルグの神経学者、マックス・ノンネで、彼はシャルコーとベルネームに学び、フランスでしか見たことがなかった男性ヒステリーがドイツにも現れたと嘆き、半信半疑で催眠を用いてみたら非常に効果があったとして催眠を用いていた。ノンネ自身が登場して、手がでたらめに動く患者を、暗示を用いて治療する姿を劇的に描いたフィルムは有名である。 

もう一つは、マンハイムの病院のカウフマンで、彼は痛みを与える電気ショックを戦争神経症の患者にかけて、患者を脅迫すること・威嚇することで治療になると考えた。実際に行ってみるとこの治療法は非常に効果があるように見え、ドイツの各地で行われた。しかし、患者を電気で刺激して痛みと苦しみを与えるこの「治療法」は、みるからに残忍なものであって、批判されていた。これを風刺した諷刺画も描かれたし、1918年には、ドイツの国会でこの治療法が批判された。

カウフマンの電気治療法の例が私の議論にとって重要な理由は、日本の国府台陸軍病院で(おそらく昭和16年以降に)実施されていた電気ショック療法は、カウフマンの試みをよく知っていたからである。単に器具やその利用を知っていただけでなく、ドイツ第二帝国の国会においてこの治療法の残忍性が取り上げられて議論されたことも知っていた。しかし、日本においては、この治療法の残忍性が政府や国民に批判されることはないと考えていた。その理由を、国府台の医師の細越正一は、国民が陸軍に大きな信頼を置いているので、残酷に見える治療法でも邪魔されずに実行できるから、と書き記している。言葉を換えれば、「第一次大戦期ドイツでは、国内で批判の対象となった電気ショックの治療法を、第二次大戦期日本では行っても大丈夫であると判断した」ということになる。