戦争神経症―小倉陸軍病院からの道



中村強「戦争神経症の統計的観察」『医学研究』vol.25, no.10, 1955: 1801-1813.
これまで国府台の陸軍病院とその後継組織の医者による業績を読んできたが、別の病院で仕事をした医者が戦後に書いた論文を読んでみた。精神疾患の患者が運び込まれた病院は国府台の外に広島と小倉にもあり、この論文の著者の中村は 「K 病院」で治療をしたと書いているので、間違いなく小倉陸軍病院であろう。森鴎外の「小倉左遷」で有名な病院である。また、中村は九大の出身であるが、教師は第二内科の楠五郎雄(くすのき・ごろお 1898-1968)であり、櫻井の師である下田とは学問の系列が異なる。勤務病院と学問が異なる医者による戦争神経症の治療の記録である。ちなみに、彼の九大医学部の博士論文があるから、これは読まなければならない。

まず一番重要な点は、ゲシュタルト心理学を応用した戦時神経症の解釈であるということである。下田や櫻井の神経症の仕事も引用されているが、佐久間鼎・山崎末彦といった名前が出てきた。佐久間は九大の心理学教授で、後に日本語学を研究して学士院賞をうけた人物である。

ゲシュタルト心理学の理論の使い方であるが、個人が環境の中で自己を作るときに、環境の外圧があり個人が被膜をつくると、将校に命じられたらいやなことでもするというような安定が成立する。しかし、「消極的誘発性」が蓄積し飽和すると、この安定が崩れて、「柵が外され、緊張が解かれ、自己も未分化になり、行為は感情的になり、将兵は赤裸々な人間性を発露する。これが、8月15日の玉音放送まで緊張し硬直の域に達していた心と体の飽和が破れたあとの、と終戦時の軍隊の混乱の説明から始めている。

まずこの記述はとても面白い。終戦をどのように解釈するのかという心理学・精神医学的な考察であると同時に、中村が終戦後の軍隊で通常はみてこなかった風景をみたこと、彼の言葉をつかうと<当時の常識から著しく逸脱した軍隊の崩壊>をみたことがわかる。

ゲシュタルト心理学で戦争神経症を説明するとどうなるかというと、軍隊という新しい環境に投げ込まれて個人と環境のバランスが崩れるという主題である。軍隊では厳しい行軍、劣悪な生活環境で田の水を生水で飲むこと、そして将校が絶対の権限をもち、個人の自由と時間の空間がせまいこと、そのような環境では人は命令に従うことを好むこと。このような状況においては、個人と環境のゲシュタルトが崩れるという。治療も面白い。個人治療は暗示と弱い電気を用いたもので、ここは正直失望した。「ここで脚が伸展したらお前の病気は治る」といって電気刺激を与えて、脚が伸展したことを暗示として治療するという、かなり単純で整理されていない話になっている。集団治療は面白く、自分の権威の領域の中に、もう一つ室長の権威の範囲というのをもうけて、二重の権威で個人を囲んで患者を制圧するという図式である。

これは中村の瑕疵ではないと思うが、象徴的な一文があった。<今次の戦争は大規模の物質的戦争であった。戦争は完全に相貌を変え、戦闘にともなう危険は、その恐怖と猛烈さを測り知れないまでに増強し、この危険を乗り切るための個人の行動は、敵の攻撃によって、ある場合にはほとんどゼロに近いまで引き下げられてしまった>という文章である。もちろんこのことは正しい。しかし、1950年になって、この事実を新しいものであるかのように書く軍医がいるという事態は、たしかにため息をつかせる何かを持っている。欧米諸国は第一次世界大戦のときに気づいていたことなのに。

画像はこの論文から。