ヒステリー治療とクリトリス切除

産婦人科医とヒステリー
Scull, Hysteria から、有名なクリトリス切除手術の話をまとめておいた。
ヒステリーはもともと子宮を意味する言葉から派生した病名であるし、17世紀以降、子宮ではなく神経が原因であるという説が受け入れられたあとでも、神経は子宮を含めて全身にはりめぐらされているので、子宮や女性の生殖と性を焦点にした神経系に起源をもつ病気であると考えれば、それは産婦人科の医者の領域にもなりえた。つまり、産婦人科は、それでなくても複雑なヒステリーという病気の「領域分け」をさらに複雑にした。もともと、それは精神科と神経科の間の境界に位置していた。前者は、地方部に位置した貧民用のアサイラムにベースを持ち、「暖房と農園と下水の専門家」と愚弄されていたのに対し、後者は、大都市の富裕な階層の治療にベースを持ち、神経学の科学的な発展はめざましかった。

産婦人科は、もともとは近世の「男産婆」に発し、19世紀には、麻酔と消毒という巨大なブレークスルーをいち早く体現した、先端技術志向を強く持っていた分科であった。一方で、それが女性患者を扱うからこそ、「騎士道精神」を気取って、名誉ある職業倫理に敏感な分科でもあった。この二つの潮流が出会ったのが、アイザック・ベイカー・ブラウンによる、ヒステリーは性的な興奮の産物であり、「クリトリデクトミー」によってクリトリスを切除する治療であり、ブラウンに対する厳しい産科医たちの拒絶であった。ベイカー=フラウンは、もともとは外科―産婦人科の中のエリートであった。彼は、フランスの生理学者であるブラウン=セカールの著作から、中枢神経の損傷は、末端神経の過度の興奮によってもたらされるという説を読み、ヒステリーという中枢神経の病は、性器付近の神経の過度の興奮を引き起こすマスターベーションによって生ずると考えた。だとしたら、ヒステリーを治療するためには、根源的には、クリトリスそのものを切除して、興奮の源を断ち切ってしまえばよい。この発想のもと、1858年以来、ベイカー=ブラウンは、麻酔をかけたうえで、灼熱した鉄でクリトリスを焼き切るクリトリス切除手術を実施した。

ベイカー=ブラウンがこの方法を公表したときに、産婦人科医たちから、激しい反論の声が上がった。この反論は、この手術自体の残虐性そのものを問題にしたのではなかった。ベイカー=ブラウンが、この手術の成果を公表し広告していることが、職業倫理にもとるというのが、彼らの反対の理由であった。男性の産婦人科医は、「弱き性」を相手にしているからこそ、一転の曇りもなく倫理的にふるまうべきであり、広告によって取り込むという卑劣な振る舞いを断じて許してはならないというのであった。

同じように、アメリカでは、産科医であるGeorgia Battey が1873年に、病変を起こした卵巣ではなく、正常な卵巣を切除する手術を行った。これは、医者にも患者にも人気があった治療法であったが、神経科の医者には軽蔑され、1890年代には衰退した。

この、女性の性器に対する直接の暴力を産婦人科の問題と考えるという見方は、確かに面白いかもしれない。その暴力のかたちもたしかに外科的だし、それに対する批判の「騎士道精神」も、むしろ「紳士らしさ」があやうい分科であることを感じさせる。