インターセックスの歴史

Reis, Elizabeth, Bodies in Doubt: an American History of Intersex (Baltimore: The Johns Hopkins University Press, 2009)
必要があって、アメリカの「インターセックス」を、具体的な史実の分析に基づいて、中心的な主題をわかりやすく、多くのヴィヴィドな実例を魅力的に挿入した書物を読む。時代ごとにくっきりとした主題があるとして書いているから図式的な印象を持つかもしれないが、理想的な入門書だと思う。

植民地時代には、両性具有は神が遣わした「怪物=しるし」であった。19世紀前半には、科学的な視点が前景に出てきた。そこでは、「結婚」が重要な主題であった。19世紀後半には、両性具有はホモセクシュアリティに重ねあわされて、「精神的両性具有」という表現のもと、同性愛に向かう危険がある存在として理解された。20世紀前半には、ホルモンも理解され、外科手術の水準も上がって医療の水準が上がると同時に、患者の個人の意思が登場し、その倫理が問題となった。1950年以降には、ある意味でこの倫理的な問題を回避し、精神的な発達という要素を中心に据えて、正常な精神発達を確保するためにごく幼児期の外科手術をとなえたジョン・マネーが影響力を持つ。現在では、性とセクシュアリティの自己決定が主題となっているので、ごく幼少期の外科手術には反対する声が高まっている。

19世紀の関心の推移を示す事例を二つ。一つは、1849年の事例で、著名な外科医サミュエル・グロスが関与している。これは、3歳の「女の子」が診療にきて、グロスは彼女に男性と女性の性器がついているのを発見した。そこで、グロスは、発達していない睾丸を発見し、これを切除した。ちょっと語感は違うが、去勢したのである。グロスがこの大胆な手術を行った理由は、彼女が将来女性として結婚できるように、ということであった。この判断は、同時代に批判されたが、結婚を目標にすることは支持する意見も多かった。

19世紀の末にも、同じような両性具有者の生殖器の片方を外科的に切除することがおこなわれたが、これらの手術の目標は、両性具有者が陥りやすい同性愛をふせぎ、どちらか片方の性に決めることであった。結婚し子どもができることは必ずしも目標ではなかった。独身でもいいから同性愛を防ぐべきだとされた。

Patients were just as ensnared in this world as doctors. Though medical sources gives us only a selective glimpse of patients’ ideas and wishes, we can occasionally see how intersex people too reflected and expressed the social norms of their time and place. X

Doctors have spent much time trying to determine intersexed people’s “true sex” and molding their bodies to reflect their judgments, which have been based on social factors as much as (or more than) physical ones. Xi

In the 1940s and 50s, acceptance of psychology as a scientific endeavor grew, and psychological testing became part of sex determination for adult patients. Xiii.

The primary obligation in medicine is, first, to do no harm, and this new protocol, unlike those of previous centuries, seems to obey that requirement. Xv