イスラムの巡礼

大英博物館で、「ハッジ」(Hajj) と呼ばれるイスラム教徒が行うメッカへの巡礼についての展示を見る。もともとは特に期待して行った展示ではなかったが、空間認識が変わるような素晴らしい内容だった。

ハッジは、すべてのイスラム教徒が一生に一回は行わなければならない義務のひとつであり、イスラム月の12月に、カーバ神殿があるメッカとその周辺で一連の儀式をすることである。神殿の周りを7回まわること(タワーフ)、二つの丘の間を7回往復すること(サーイ)、ザムザムの井戸から水を飲むこと、アラファト山で過ごすこと、大きすぎもせず小さすぎもしない小石を49個拾い集めること、壁に向かってその小石を投げること、動物の犠牲をささげることなどが、ハッジを構成する。

この、メッカとその周辺における儀式も面白かったけれども、イスラム教の広がりとともに、広大な領域から人々がメッカをめざしてやってくること、そのためにさまざまな機能が発達していることが実感できる展示になっていた部分が素晴らしかった。その領域は、メッカがあるアラビア半島を中心にして、西の方には、アフリカのツンブクに始まり、モロッコなどの北アフリカ、エジプトと東地中海があり、東の方には、ペルシア、インド、東南アジアを経て中国南部にいたる地域である。この広大な地域からメッカに来ることを可能にする街道が整備され、巡礼が飲む水を確保するために井戸が掘られる。この巡礼には女性も当たり前のように参加するから、女性が巨大な距離を旅することにもなる。メッカのお土産として珍しい物品がもたらされ、中継地点の学問の中心のあいだの交流が促進される。移動中にもメッカの方角を向いて祈りが捧げられるから、どこにいてもメッカの方角がわかる洗練されたキブラのコンパスが発展する。19世紀には、巡礼の移動によってコレラが流行しないような国際衛生が行われ、トマス・クック旅行会社がインドからの巡礼のためのツアー・パッケージを準備し、オランダの植民地では国境を越えて旅行する巡礼の身分証明書を発行する。ハッジに出発するまえには、それぞれの街で壮麗な送り出しの行列が行われ、京都のお祭りで出る「山車」のようなものが街を練り歩いたあと、メッカに向けて出発する。江戸時代のお伊勢参りと街道整備が巨大な規模でアフリカからユーラシアにかけて広がったと考えてもいい。

この広大な地域をカバーして充実した展示をする実力は、さすがに大英博物館だなあと実感する。