戦争神経症から優生学へ

Lerner, Hysterical Men の重要な指摘のひとつが、第一次世界大戦の戦争神経症をめぐって、ドイツの国民の間に現れた不満が、精神科医たちを優生学へと向かわせたという議論がある。

第一次世界大戦後、精神科医に対する信頼は失墜した。戦時中の神経症について、医者たちは患者たちが裏切った兵士ではないかと疑い、厳しい治療のプログラムを組んで治療センターが戦闘を放棄した卑劣な臆病者を受け入れないようにした。これらは、患者が精神科医に対して怒りをもつ原因となった。戦後、精神科医たちは、旧制度の象徴であり、直接的な不満と怒りの相手として、さまざまな形で攻撃された。のちにノーベル賞を受賞したワグナー=ヤウレックも戦争神経症の治療において無能であり、患者を非人道的に扱ったとして裁判で訴えられた。(1918年12月)肖像画を焼かれた精神科医もいたし、「カリガリ博士」のように精神科医を主人公としたホラー映画も作られた。

このように、医者-患者関係のトーンが戦争を経て激変したため、ドイツの精神科医たちは、自らの役割を作り変えなければならなかった。それが、危機に陥った国民を守る守り手としてだった。つまり、患者-クライアントの側から離れて、患者を敵視しながら国家に接近することが、人気を失った精神科医たちが取った手段であった。その結果、国民の健康を高めるためのテクノクラシーを、官僚的なメカニズムを通じて確保することが、精神科医の主たる関心となる。この傾向自体は戦前・戦中も存在したが、戦後により鮮明になった。この道筋をとったのが、ガウプやボンヘファーであり、ビンドゥングと共著で安楽死を正当化する書物を書いたホッヘであった。

たぶん重要なポイントを突いている指摘だと思う。これは、いつでも念頭に置くべき意見だと思う。