戦後アメリカの精神医学文化への戦時神経症研究の貢献

Staub, Michael, Madness Is Civilization: When the Diagnosis was Social, 1948-1980 (Chicago: University of Chicago Press, 2011).
アメリカでは戦時神経症の研究がどのように戦後の精神医学に発展的に連結させられたかを論じた書物の章をチェックする。この本は、基本は文化史の本で、戦後アメリカの精神医学と反精神医学を、同時代の文化の中にソリッドに位置づけている。とても面白い本だと思う。

「患者としての社会」という副題がついた第一章である。「社会」が病気の原因として非常に重要である合意が形成されて、それが強力に研究や思考に影響を与えたのが戦後アメリカの精神医学文化の一つの特徴である。社会が持つ文化、コード、思想によって、個人がかかる精神疾患が決まってくる・変わってくるという議論である。これはもちろん戦後アメリカで初めて現れた思考の枠組みではなく、デュルケームの自殺論は社会の凝集性・統合性と自殺率の関係を論じているし、田舎と都会の精神病の疫学的な研究は戦前には大規模に行われていた。クレペリンにならって、伝統社会には異なる精神病が存在し、また文明社会よりも少ないことが取り上げられていた。アメリカでは1949年に国立精神衛生研究所が作られ、強力な研究と発信の気管となった。クレペリンに反対する精神分析系の精神科医たちが力を得た。

この中で、戦時神経症の治療は、これまで行われた最大規模の精神医学調査の性格を持つ事業と研究に転換された。多くの医師たちが、精神医学がこれほどアメリカ社会に貢献したことはなかったと言及した。日本を訪れた軍の精神医学の責任者の William Menninger が1947年に明らかにしたところによれば、戦争神経症の患者は数百万人にのぼった。これらの患者の生活の様子は、1945年の Life にカラー記事で紹介された(入手すること)この患者たちが戦争で発病した原因は、彼らの人格の形成、特に家庭で愛情を受けたかどうかが重要であるとされた。メニンガーは「ドイツの88対空砲や日本の神風特攻隊の攻撃に身をさらすことと、親戚の屋根裏部屋に妻と子供3人と住んだり仕事を見つけられなかったりすることは、まったく違うことに見えるが、パーソナリティに与える効果という点では、これらはほぼ同じことである」とたとえて、戦争での神経症の研究と、一般社会での生活の精神衛生との類同性を論じた。また、同時期に、ハロルド・ラスウェルや、UCバークリーのアドルノを含む社会学者たちのチームが行った「権威主義的パーソナリティの研究」は、反ユダヤ主義、保守主義、ファシズムを招来しやすい人格の研究を行った。