日本の戦争と精神医学

岡田靖雄「空襲時精神病―植松七九郎・鹽入圓祐の資料から―」『15年戦争と日本の医学医療研究会会報』10(2010), no.2, 10-14.
著者は日本の精神医療史研究の第一人者で、その緻密な資料収集と広く細かい知識で精神医学史の発展に大いに貢献してきた。その業績は抜群なのだが、ご自身の私的な精神医学史の資料館を「青柿舎」と名付けておられることが象徴するように、幾らかの孤介さが感じられる人柄でもあり、関係者の全てに敬愛されているわけではない。それにもかかわらず、重要な文献を探しだしては紹介してきた一連の岡田の仕事がなかったとしたら、現在の日本の精神医療史研究は信じられないほど貧しいものになっていただろう。

この論文は、戦争と精神医学の主題のうち、特に空襲時の精神病を論じた植松・鹽入の貴重な手稿資料をまとめたものである。慶應大学神経科の教授であった植松が調査したもので、空襲が直接原因として作用したと思われる、心因反応のものを17症例あつめている。これは、1944年11月から45年8月まで、慶應神経科の外来、桜ヶ丘保養院、松沢病院、井の頭病院、東京武蔵野病院などで診療された患者である。岡田論文は、この17の症例を、患者の精神状態や症状に応じて、妄想錯乱状態、心因性混迷、心因性抑鬱、朦朧状態、ヒステリー、睡眠状態、徘徊などにわけて紹介している。爆弾の至近弾を経験したのち、サイレンがならぬのに「空襲空襲」と叫んでは、入院後には「天皇陛下」をくりかえす工員や、夫が帰ってきた直後に空襲に遭い、夫に電報を打ったので憲兵につかまって死刑になるとの念慮を持つようになったものなどがいる。
日本精神神経学会は1944年、1945年の大会を中止したので、戦争の影響が精神医学者によって本格的に論じられたのは、1946年の6月に開催された大会となるが、この大会では合計42の演題があり、その中の11題は戦争に直接関係があるものであった。1) 内村祐之原子爆弾による脳髄の病変、2) 植松七九郎の空襲時精神病、3) 国立国府台病院の諏訪敬三郎の今次戦争間の精神医学的経験、4) 防空壕内の窒息後に発生する精神病、5) 九大の武谷による原子爆弾患者脳髄の病理学的分析、6) 小林八郎のコロル島高射砲陣地における神経症の発生、7) 神経症と知能検査の敬虔、8) 壮丁12万人対する知能検査、9) 戦災浮浪者の精神医学的調査、10) 在郷頭部外傷者の検診報告、11) 産業能率への精神医学の応用。
 これを一覧しただけで、欧米で行われているいわゆる「戦争と精神医学」のヒストリオグラフィとは違う問題が浮かび上がることが分かるだろう。第一次世界大戦の欧米で俄然現れた「精神医学と戦争」は、場所は塹壕戦であり、患者は兵士であった。それに対し、太平洋戦争末期の日本においては、戦場の兵士の精神疾患の問題も存在したが、少なくとも同じくらい重要であったのが、市街地における非戦闘員の精神疾患であった。それは原子爆弾が脳に与えた影響であり、空襲の影響であり、戦災浮浪の影響であり、産業動員の能率の問題であった。