蔵書の荷ほどきをすること

Unpacking My Library: Architects and Their Books [2009]は,10組12人の建築家の書棚の写真を撮った美しい書物である。その冒頭に、ベンヤミンの「蔵書の荷をほどくこと」という美しい小文があった。恥ずかしながら、私はこのベンヤミンの文章を今まで知らなかったが、心に沁みこんでいくような名文であると同時に、あたかも私自身がこの文章を書いたかのような錯覚をするような文章だった。

“I am unpacking my library. Yes, I am.” という印象的な文句で始まっている。開けたばかりの荷物、ほこりが部屋の空気の中を舞い、包み紙はまだ床にちらかっている。そこには、書物を並べてしまったあとの、秩序という退屈の香りはない。

引越しをして新居に移り、梱包した蔵書の荷をほどいている真っ最中に、蔵書について心に浮かぶことを語ろうという設定で書かれた文章である。引越しの時の蔵書の荷解きというのは、特有の感覚を持たせるものだろう。私自身も何度も引越しをして、そのたびに多くの本をもち運んでいた。新しい部屋で本の荷解きをしてそれを書棚に並べるときは、自分のまわりに世界を作るような、同時に世界の中に自分を挿し込むような、不思議な感覚がある。空間だけでなく、時間についても、将来この空間で自分が営む知的な仕事がたどる道標が配されるような気分、ベンヤミンがいうanticipation がある。

「書物は自分自分の運命を持っている」(Habean sua fata libelli)という言葉があるが、一冊ずつの書籍も、それぞれの運命を持っている。どこで、どのようにして出会い、なぜ買ったのか。特に古書の場合は、以前の所有者は誰か、どこの街で買ったのか、どの古書市や古本屋でどのようにして買ったのかという、それぞれの歴史と出会いを持っている。そういう書物を所有することは、書物に新しい生命を与え、その書物の運命の新しい章を開くことである。書物の荷をほどくことは、そういう所有物を自分の周りに並べる営みなのである。

ある俗物がアナトール・フランスの蔵書をほめちぎり、「これをすべて読んだんですか?」というお決まりの質問をした。フランスは、「いいえ、十分の一も読んでいませんよ。あなたは、セーヴルの磁器を毎日使って食事をするのですか?」と聞き返したという。