『アラビアン・ナイト』の性的倒錯(サディズム)について

バートン版『千夜一夜物語』より「バッソラーのハサン」

リチャード・バートンが訳した『千夜一夜物語』は、日本語の完訳がある。大場正史が訳し、シュールレアリストの古澤岩美が挿絵を描いたちくま文庫の11巻本である。その9巻に収録されている「バッソラーのハサン」と題された長い物語は、大人向けの性的な内容が入っているので、広く膾炙していないが、読みごたえがある「傑作」のひとつである。ある箇所については、バートン自身が、『千夜一夜物語』全体の中でもっとも絢爛華麗をきわめたものの一つであると感嘆の声を漏らしており、魔法の異国への冒険譚や、詳細で官能的な性的な記述は、男性ファンタジーの結晶を感じさせる。その物語から、主にバートンに関するいくつかのメモ。

 

1. 前半において、錬金術の主題に触れている。しかし、この錬金術師はペルシア人の拝火教信徒のマギであり、その邪悪さと卑劣さ、そしてイスラム教徒に対する敵意は著しく強調して描かれている。

 

2. 二つの病気が並べられて「天刑病」と「象皮病」と訳されている。バートンの註をみると、英語ではそれぞれ leprosy と elephantiasis とされており、アラビア語では Baras と Juzam である。バートンはこの両者を「ありふれた二種類の癩病」としている。さらにシリアの俗信として、月経中の性交は Daa al-Kabir (大きな悪の意味、Juzamのこと)、Daa al-Fil (象の悪、象皮病のこと)という病気をもたらす。象皮病とJuzam の対応関係がこの箇所ではよく分からない。また、月経のはじまりから性交までの日数は、この病にかかる年数と対応しているという俗信があり、月経の初日で性交した場合には10才で、4日目で発病した場合には40才で発病すると信じられていたとのこと。

3. 「バッソラーのハサン」は、白鳥の衣を着て飛ぶお姫さまと結婚したハサンが、そのお姫さまが故郷に帰ってしまったのを追っていく冒険である。その故郷は「ワクワク」なる群島で、これはアラビアから見たときの日本であろうという説もあるとのこと。これは日本がWo-kuok と中国でいわれていたことに由来するとのこと。Wo-kuok は、バートンは「黒檀 (koku-tan)」が訛ったものという説を紹介しているが、ワコク(倭国)であるのかもしれない。

 

4. 東洋の女性の乳房について興味深い記述。バートンは、<東洋の女性の最も醜い部分は垂れた乳房である>という、はっとするような註をつけている。「刻み煙草入れのような、長い、からっぽの乳房」であるという。東洋の女性でも、若いころの張りがある球形を描いた乳房は美しいが、子供が生まれると皮膚が引っ張られ乳房の形が崩れていくという。「美しい老婆が見出されるのは最高度の文明においてだけである」とバートンは結論する。帝国主義時代の男性の視点が、年老いた女性の身体にも 広がっていたことを示す。非西洋の女性の乳房を描いた絵画や写真、ロダンの「年老いた売春婦」の彫刻や、ルネサンスデューラーの老婆の絵画などを思い出させた。

 

5. 女性の性器について。女性の性器を美形の極みとして記述する箇所が何か所もあり、その中で、「その名を明かせば、こんな文字 / 四に五をかけて、六かけ十」という記述に、バートンが大喜びで註をつけている。これは、アブジャッド・アルファベットというもので、1から1000までの数字が、それぞれアルファベットに対応するという。4×5=20 は K (カフ)であり、6×10=60 は S(シン)にあたる。これから、Kus という言葉がつくられ、これが女性器をさすという。バートンはさらに、自分が中退したオクスフォード大学(トリニティ・コレッジ)では次のような歌があったと紹介している。

 

To five and five and fifty-five

The first of letters add

To make a thing to please a king

And drives a wise man mad.

 

前の二行は、VVLVA をあらわし、これが Vulva になるという。

 

6. 物語の中で、サディズムとマゾヒズムが鮮明にみられる箇所があった。私がアラビアン・ナイトが形成された文化について無知であることはもちろんだが、敢えて素人っぽいことを書かせてもらうと、この箇所にはバートンの筆がかなり入っているのではないかと思う。物語の最後に近い部分に、はさんがワクワクにたどり着いたあと、ハサンの妻であるお姫さまと、その姉である女王様の対決が描かれるストーリーがある。ハサンの妻である妹は、おしとやかで優しくてハサンに忠実な性格だが、姉は同じように美しいが、性格はその正反対で、傲慢な権威をふるい、猛々しい怒りをぶつけ、妹が裏切ったと言って加虐の降り注ぐ。手をしばりつけて足には鉄の枷をはめて鞭で打って気絶させ、木の梯子に妹を括り付けて髪の毛で体を縛り、自分の妹を打って気絶させる。薔薇水をかけて息を吹き返させては、棕櫚の棒で体中を打ち続け、象をも気絶させる編んだ皮ひもの鞭で、妹が気を失うまで打ち続けるという、息を詰めて読むような長く具体的な記述がある。古澤岩美がここに強烈なインパクトがある挿絵をつけていることは言うまでもない(笑)

千夜一夜物語』の「オリジナル」という概念はきっと複雑で難しいのだろうが、この箇所は、どの程度までアラビアのオリジナルに近いのだろうか。19世紀ヨーロッパで形成された、美しい女性の権威と暴力に対する倒錯した魅惑という「性的倒錯」の概念に、あまりにも似ていないか。サドの作品そのものではないか。アラビアン・ナイトのことをよく知っている専門家に教えていただきたい。