日本の優生学と精神医学

日本の優生学と精神医学の連関は興味深いが、まだ研究も分析も進んでいない。欧米の先進国におけるのとは違った連関であったことは確かである。ナチスにおけるような安楽死は日本では政策として実施されなかったことはなかったし、ドイツ以外にも北欧やアメリカの各州で行われた断種手術については、日本の精神医学者は消極的な姿勢を取っていた。1940年に国民優生法を成立させた諸学問の力学について、当時の東大精神科の教授であった内村裕之が「法律学者や生物学者のひたむきな断種賛成論にわれわれ[精神医学者]が驚いたように、これらの人々はまた、精神医学者の消極的な態度を意外に感じていた」と書いていることは、ナチスの精神医学のような積極的な断種とは大きく異なった姿勢が日本の精神医学の特徴であったことを示唆する。(内村、我が歩みし精神医学の道、199) 断種に対して消極的な態度にかわって、当時の日本の精神医学がどのようなヴィジョンを持ち、そのヴィジョンと優生学はどのように関係があったのかという問いには、まだ私は答えることができない。以下に、優生学にとってもっとも重要な精神疾患である精神分裂病を軸にして、その問題を考えるときに重要なヒントを三点あげる。 まず第一に、新しく登場したショック療法がもたらした楽観的な見込がある。この時期に導入されたインシュリンショックや電気痙攣衝撃法などのショック療法を使った医者たちは、確実に手ごたえを感じていた。精神分裂病に関して悲観的になる必要があまりない状況だった。第二に、作業療法の導入は新しい魅力的な風景を開いていた。作業療法が奏効するという治療上の観察、精神病院の経営・自立への効果、戦時総動員の思想に乗るイデオロギー的な身振りの点でも、作業療法は精神科医たちに新しい風景を開いていた。精神病院の患者たちを、治療、経済的効果、労働を通じた報国という三角形の中に組み込むことができるようになった。 第三の問題が、精神分裂病が慢性化して固定した状態である欠陥像に新しい意味を持たせる試みであり、この部分における改革は、精神病院だけでなく、地域医療の方向への踏み込みとして重要である。分裂病の病勢が進行してある状態に固定して慢性化することは知られており、この状態を「欠陥像」という。この過程を痴呆化を軸にして捉えたのがクレペリンの「早発性痴呆」という診断概念であるが、東大精神科・松沢病院の奥田三郎は、1942年に出版された大部な論文の中で、新しい形で欠陥像をとらえることを試みる。奥田は、分裂病の欠陥像は生物学的には補償できないが、社会的な概念としての欠陥像はある程度の補償の可能性を持っているという。すなわち、身体医学の意味での治療はできないが、慢性化した分裂病患者の「社会的生存価値」を高めることならできる。彼らを再社会化し、生産的にならしむることができ、経済的な価値を生み出すことができ、国家の生産拡充の仕組みの中に慢性の精神分裂病患者が入れ込むことができる。 奥田三郎「精神分裂病の欠陥像について」『精神神経学雑誌』46巻11号、1942, 657-735.