アイヌのイム論のまとめの前に、その他の精神病についての論文をまとめます。
内村祐之・石橋俊実・秋元波留夫・太田清之「アイヌの内因性精神病と神経系疾患(アイヌの精神医学的研究 第3報)」『精神神経学雑誌』45(1941), 49-100.
昭和9年から12年にかけて、日本学術振興会の第8小委員会のアイヌの医学的研究のプロジェクトに基づいて調査をした結果をまとめたものである。精神分裂病、躁鬱病、癲癇などの内因性精神病や、酒精中毒など他の精神病を調査し、その出現と病像について野心的なまとめをした論文である。昭和11年に樺太のアイヌの調査の折に、同地に住む蒙古系のギリヤーク、オロッコ、サンダーなどの民族の精神病も調査した。
酒精中毒については、アイヌは愛酒民族として有名であると同時に、和人によってもたらされた酒によって民族は衰亡に向かったとされる。しかし、実際に調査してみたところ、酒精中毒はむしろ少なかった。しかし、これはアイヌが多量の酒に対して抵抗力を持っているからというより、むしろ貧困のために酒を飲み続けるだけの資力もなく、それを生み出す財産を作るための勤勉さと意志力もないということを考慮に入れなければならない。
分裂病と躁鬱病については、興味深い議論をしている。分裂病については、ドイツで研究された発生率や内村自身が八丈島で調査した発生率に較べて、アイヌの分裂病ははっきりと数が少ない。また、分裂病患者の転帰をみると、末期的な痴呆に至らず、寛解したり作業可能な状態になるケースが目につく。アイヌは分裂病についてのある種の抵抗性を持っているのだろう。躁鬱病についても、数も少なく、また、非定型なものが多い。具体的には、憑依症状などが現れたりする。これは、ヨーロッパで、ユダヤ人の躁鬱病が非定型であると報告されていることを思い起こさせる。
すなわち、アイヌは、分裂病や躁鬱病という内因性の精神病に対しては、むしろ有利な特徴を持っている。そして、アイヌ民族の原始心性に由来する「推感性」(被暗示性)がはたらくために、これらの病気はその色彩を帯びる。この被暗示性は、イムの基盤ともなっているから、アイヌはほかの精神病にかかった場合でも、その病像にはイムの影がさすことになる。