小氷河期の疾病危機

小氷河期の疾病危機についてのしばらく前の論文を読む。Appleby, Andrew B., “Epidemics and Famine in the Little Ice Age”, in Robert I. Rotberg and Theodore K. Rabb eds., Climate and History (Princeton: Princeton University Press, 1981), 63-83.

 前から勉強してみたいと思っている小氷河期という歴史気候学の概念がある。研究によっていつの時期を指すかという幅が大分違うだけでなく、影響を受けた地域によっても差があるらしいが、後期中世から近代まで、世紀で言うと14世紀から19世紀くらいまでの間、地球の気候が冷え込んだ時期があるという。この時期は、ヨーロッパが流行病危機に襲われた時期とだいたい重なる。特にペストがヨーロッパで荒れ狂った1350年からの300年間が小氷河期の中に包まれている。逆に、ヨーロッパの人口増加は、だいたい小氷河期が終わった頃から始る。ヨーロッパが何か関係があるのではないかと考えたくなるのが人情である。

 しかし、この論文によると、気候とヨーロッパの疾病危機の間にはあまり深い関係はないという。この時期に大きな被害を出したといわれるペストも天然痘も、気温との関係はよく分からない。気温が下がって人が衣服を着るようになったから、これまで皮膚から接触感染していたトレポノーマ属の細菌が生存の手段を失い、性交で感染する性感染症として生まれ変わって梅毒になって世界で猛威を振るったという説があるが、これは、私には酒の席で話して楽しい、風が吹いて桶屋がもうかる式の仮説にしか思えない。(このあたりのセンスが、医者と歴史家では根本的に違うと聞いたことがある。)気候の変化そのものが、ヨーロッパの疾病危機と大きく関係があるというわけではないらしい。

 この論者が指摘していたことで面白いことは、食料の不作を間に挟んで、気候と疾病危機がつながっているのではないかという考え方。食料を生産する農業は、気温の変化に直接左右される。小麦などが不作だと、人々は備蓄されている食糧を求めて都市に集まる。その都市がハブになって、感染症が周辺地域(あるいは遠隔地)に伝播する。1597年にニューカスルから、カンバーランドなどに伝播したペストは、そのようなメカニズムだという。