三十年戦争の人的被害の原因

 戦争の人的被害の疾病史の論文を読む。文献はOutram, Quentin, “The Socio-Economic Relations of Wrfare and the Military Mortality Crises of the Thirty Year’s War”, Medical History, 45(2001), 151-184.

 1618年から30年にわたってドイツを中心に戦われた30年戦争は、甚大な人的被害を出した戦争として名高い。戦闘が行われた地域の人口は15-20%程度も減少した。戦争時の人口減少は、「具体的にはどのようなメカニズムで引き起こされるのか」という問題は、人口史家や医学史家にとって新しい研究のフォーカスになりつつあるが、この論文もその一つ。近年のアフリカを中心とする開発途上国の内乱で大きな人的被害が出ているが、それを減少させるための人道的な方策・政策との関係もあって、注目されている分野である。

 歴史的に言うと、戦時の人的被害の大半は、戦闘行為そのものに由来しないことは良く知られている。また30年戦争の死亡の原因は、戦闘員というより非戦闘員の病気であるというと、現代の事例にひきずられて、栄養状態の悪化が原因だと考える人が多いが、<栄養状態>は全ての死亡危機を説明してくれる魔法の道具ではない。この論文も栄養状態の悪化が死亡危機を招いたという説明には懐疑的である。

 この論文のコアになっているエビデンスとその処理の仕方が面白いので紹介しておく。19世紀の末にドイツで編纂された、土地別死亡危機一覧のようなものがあって、それに書かれている原因に<勇気を奮って>(笑)、遡及的診断をかけたものが下の表。Dは下痢系、Hは飢餓系、Mは戦闘行為(傭兵部隊の虐殺を含む)、Pはペスト、Sは天然痘、Tはチフス系、Uは不明。 

 戦時の大きな変化は、1631年のスウェーデンの参戦以降に、Hが増加すること、そしてもともと死亡危機の主役であったペストがさらに激化したことであった。戦争による移動性の向上は、ペストが伝播しやすい状況を作り出し、傭兵に依存した戦争形態が持ち込まれたことが、30年戦争を非戦闘員の飢餓が深刻な戦争に変えたという。 

 これは私の無知なのだけれども、死亡危機の大半はペストと飢餓であったというのも意外だった。傭兵の虐殺と、新しい疾患の発疹チフスが猛威をふるったのかと思っていた。 


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