天然痘の悪性度の謎

天然痘の悪性度(ビルレンス)の変化についての論文を読む。文献は、Carmichael, Ann G. and Arthur M. Silverstein, “Smallpox in Europe before the Seventeenth Century: Virulent Killer or Benign Disease?”, Journal of the History of Medicine and Allied Sciences, 42(1987), 147-168.

17世紀にロンドンで週間の死亡表が出版されるようになったときに、数十年に一度やってくるペストや、「痙攣」など現代医学では通用しない診断を除けば、圧倒的な存在感を示した病気は天然痘であり、死者の10% 前後を占める死因トップの病気であった。一方で、天然痘はきわめて古くから存在した病気であり、10世紀にはアラビアの医師ラーゼスによってそれと同定できる臨床的な記述がされているだけでなく、それよりもかなり前に遡ることができる。(日本の8世紀の天平の死亡危機が天然痘によるものであることは、ほぼ間違いない。)天然痘の死亡率が17世紀以降には高いこと、そして、歴史上かなり以前まで遡ることができる病気であること、この二つの事実を組み合わせて、私たちは天然痘は歴史上かなりの期間にわたって死亡率が高い病気であると漠然と思っている。その思い込みを根本から揺るがしたのがこの論文である。 ポイントを一言で言うと、天然痘のビルレンス(悪性度)が、16-17世紀に上昇したということである。

イギリスとイタリアの記述資料と統計資料の双方を使って、イタリアでは1550年以前、イギリスでは1600年以前には、天然痘の流行は記されているが、それらの多くは悪性ではなく(ビルレンスが低く)、死亡率が高かったり、失明や「あばた」にいたるようなものではなかったことを証明している。たとえば人口4万人の程度の15世紀のフィレンツェにおいて、1424-25, 1430, 1439 と,三回の天然痘の流行が記され、その死亡者数を経験することができるが、これを含めて、1424-58年の約35年間において、フィレンツェ天然痘で死んだ人間はたったの84人であるという。ロンドンの死亡表を使った統計処理でも、17世紀に天然痘の死亡率は上昇していき、ビルレンスが高い天然痘のストレインが優勢になっていったという仮説に符合する。

色々異論もあるだろうけれども、私は、この論文のは説得力があると思う。天然痘にはいくつかのストレインが知られていて、その変化についても、20世紀におきたものについてはわかっている。20世紀になってビルレンスが低く致死率は1パーセント程度のvariola minorが優勢になり、それ以前のストレインで数十パーセントの致死率のvariola majorは後退した。その逆の変化、つまり高いビルレンスのものが優勢になるという事態が16-17世紀のヨーロッパにおいて起きてもいい。ある感染症で、ビルレンスが高いストレインが優勢になるというのは、確かに我々が知っている中では珍しい事態だけれども。 

面白い「証拠」というかトリヴィアがあったので紹介しておく。この著者たちの仮説によると、イギリスではビルレンスが低い天然痘が優勢だった時代の最後の時期に活躍したシェイクスピアは、ペストや梅毒はもちろん、沢山の病気に言及しているが、天然痘にもあばたにも言及していないそうだ。 なるほど。 そういえば、日本史上、あばたづらで有名な最初の人物って誰だろう?