天平の天然痘大流行

必要があって、天平天然痘大流行に関する研究書を読む。この問題に関する最も本格的な研究は、私が知る限りでは英語で書かれたものである。文献は、Farris, William Wayne, Population, Disease, and Land in Early Japan, 645-900 (Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1985).

735-7年の天平天然痘は、同時代人が「かつてこれほどの疫病はなかった」と記している大きな流行病であった。この大流行をストーリーの中心にすえて、日本の古代の人口と農業を語りなおした書物。まず、この流行は人口の25-35%を死亡せしめたこと、これによって、それまで順調に増加していた日本の人口は急激なショックを加えられ、経済(主として農業)は、労働人口を失って急ブレーキをかけられたこと。その後も、30年ごとに天然痘は外国から侵入して同様なダメージを与え続け、13世紀に天然痘が常在化するまで農業の大きな発展はなかったこと。こんなところが主たる主張である。

死亡率を果敢に計算しようとしたのは素晴らしいけれども、実は、25-35%というファリスの数字の根拠がよく分からない。使っているのは、正倉院に収められている、各地方の税と収入の記録である。決めてになっているのは、国が農民に米を貸す事業の記録である。国は、収穫後に5割増しで返すという契約で、春に農民がまく籾を貸していた。その農民が死ぬと、「死亡による不返済」の籾の量として記される。貸した籾全体の量も記されているから、前者と後者の割合が分かると、死亡の割合が分かるというロジックで、ファリスはその数字をそのまま大体の死亡率であるとしている。

この数字が死亡率の大きな手がかりになることは間違いない。これはきっとファリスの大手柄だろう。しかし、貸付モミ全体の量で、死亡による不返済モミの量を割ってやると、それが人間の死亡率になるという手続きが、分かるようでいて、それでいいのかなんとなく不安である。(これは、私がこの時代のモミの貸付制度について知らないことによることが大きい。)特に、ファリスがぽろっと書いている、天然痘大流行の年は、高い地域で44%、平均で23%だけど、例年の数値は10%くらいだという情報が混乱を呼ぶ。この10%という数値をファリス式にとると、天平時代は、普通の年の粗死亡率が人口1000あたり100もあったのだろうか?いくら多産多死とはいえ、毎年そんなに高い死亡率で人口を維持できるものだろうか? 

ここは、この正倉院のデータから死亡率そのものを出したい気持ちは分かるけれども、このデータは「天然痘が流行した年の死亡率は、通常年の死亡率の2倍から3倍程度に上昇した」という言い方で押さえておいて、通常年の死亡率を常識的な数字をあてはめたほうが安全なような気がする。やはり、モミをモミで割って死亡率が出てくるのは、なんとなく直感的に不安なんですが。 ある年のモミをモミで割った数値と、別の年のモミをモミで割った数値の比率が、通常年と危機年の死亡率の比率だというロジックと、どこがどう違うのかと開き直られると、ちょっと困るんだけど(笑)