アフリカのマラリアをめぐる四つの物語

未読山の中から第二次世界大戦後のアフリカのマラリアを論じた論文を読む。文献はMcGregor, JoAnn, and Terence Ranger, “Displacement and Disease: Epidemics and Ideas about Malaria in Metabeleland, Zimbabwe, 1945-1996”, Past and Present, No.167(2000), 203-237. ポストモダン歴史学の方法論的な洗練を体現したような論文で、緻密なアーカイブとオーラル・ヒストリーに基づいたリサーチを、「戦後のマラリアをめぐる四つの物語」(ナラティヴ)というスタイルでまとめている。日本では、<ポストモダン歴史学>というと、いい加減なリサーチに基づいた歴史学のことを言うと誤解している(あるいは意図的に曲解している)歴史学者がいるが、それは、アーカイブに基づいた歴史は好事家的な歴史であるという誤解や曲解と同じくらい間違っている。
 
 この論文が言う四つの物語のうち、二つは起源が比較的古く、どちらも放棄されている。一つはWHOが1957年に始めたDDT散布によるマラリア根絶計画の、テクノロジーによる疾病コントロールが成功するという垂直的アプローチのナラティヴ。このシナリオはWHO自身が放棄して方向転換を宣言して、全面的に破産した。次が白人南アフリカ(というのだろうか)のナラティヴ。これはWHOの計画に積極的に参加して、マラリアが浸淫している地帯に現地人を移住させて大規模な経済開発を夢見たものであった。残りの二つは、比較的新しいナラティヴで、古いWHOの政策や白人主義への対抗・代替として現れた。一つは民族主義のナラティヴで、白人優先の開発医療に対して現地人が主導するマラリア対策が優れたものであったと主張するもの。これは一部の非白人エリートによるものであり、時としてWHOの古い手法を復活させるものであった。最後が、WHOが1979年に採択した方向転換にのっとった、土着の医療システムも含めた包括的なマラリアへの取り組みを主張するもの。ここでは「イニョンゴ」と呼ばれたマラリアのような病気への民衆的な理解が前面に押し出される。

 この四つの「物語」が、競争し、協力し、重なり合いながら進行してきたものとして、南アフリカのマラリア対策が論じられる。とても面白い論文だし、この手の語り方は、これから増えるのだろう。

注が入っていなかったら出典は明らかではないが、DDTは「昆虫界の原子爆弾」と呼ばれていたそうだ。このインパクトがあるエピソードは知らなかった。使いたいんだけれども、どなたか出典を知っている人はいませんか?