独身者の疫学

 未読山の中からアメリカのフロンティアの不健康についての論文を読む。文献はCourtwright, David T., “Disease, Death and Disorder on the American Frontier”, Journal of the History of Medicine and Allied Sciences, 46(1991), 457-492.

 アメリカ開拓の前線(フロンティア)における死亡率は高かったという。この論文の中では超過死亡を明示するデータというのは殆ど示されていなくて、1906年から1913年までのカリフォルニアの日系移民の死亡率だけが示されている。15歳以上男性で人口1000人あたり11.3。 同時期同年代のアメリカ全土の死亡率より50%ほど高いという。実はこの50%という計算も少し怪しい。この疑わしい断片的なデータだけで、フロンティア全体が不健康だったという大きな主張を受け入れるのは大いに不満だけれども、まあ、それはいい。

 フロンティアは不健康だったということを受け入れることにして、それはなぜかという問題について、この著者は痛快なまでにシンプルな説明をする。「男性が超過していたから」だという。開拓移民は一般にそうなのかもしれないが、アメリカのフロンティアには、故郷で財産を相続できる見込みが少なく、身を立てる資金が乏しい次男以下の男性が、アメリカの内外から集まった。結婚し、妻や子供を伴って移民してくる例は稀であった。(『大草原の小さな家』のインガルス一家は例外だということだろう。)時代を通じて、新たに開拓された地域は常に男性の超過があり、逆に古くからある街では女性が超過していた。18世紀のマサチューセッツでは東部の郡が女性100人に対して男性は87人、西部の郡だとこの数字は113になる。19世紀の西部諸州はもっと烈しくて、1870年にはカリフォルニアでは男性が女性の2倍、アリゾナは4倍、アイダホとモンタナは8倍にのぼっていた。

 この大幅な男性超過のために、独身生活を余儀なくさせられた男性たちは、健康に対するハザードが高い生活をしていた。過度の飲酒、売春と性病、稼ぎは賭け事に使い果たしてしまい、塩漬けの肉とコーヒーと酒だけの偏った食生活、若い男性共同体に見られる刹那的な快楽主義、そして「マイホーム風の道徳」への反逆。若い独身男性のハザードが高いライフスタイルは現代でもほぼ普遍的に見られることだが、フロンティアにおいても同じだったという。

 しかし、このフロンティアのハザードを最も強く受けたのは先住民たちであった。先住民に対する強烈な差別意識を持つ開拓民たちの暴力の犠牲になったこと、肥沃な土地を奪われたこと、そして泥酔してピストルを抜いて殺しあうという最も悪い手本であったフロンティアの粗暴な男たちから「酒」を学んでしまったこと、これらが先住民たちの健康を脅かした。ここで著者はマクニールの「二つの寄生」の概念が使われているけれども、これはマクニールを曲解している。レフリーに言われたのだろうか・・・? 

 この論文の方法論には、すごく沢山の問題がある。現代の疫学の知見の中から、独身男性の部分だけを取り出し、そこから「飲む打つ買う」の独身男性のステレオタイプを作り上げ、フロンティアについての記述からそれに合うものを拾ってきているという批判を持たない歴史家はいないだろう。しかし、この論文には、何と言えばいいのかな・・・ そういう批判を吹き飛ばす「勢い」があって、まあいいや(笑)という感じで納得したくなる。

 そして、何より大切なことは、著者は書いていないが、<開発原病>の概念を単純に使うことの危険がえぐり出されている。最近<開発原病>の概念を使う歴史学者が多い。開発の前線で擾乱された環境において未知の病原体に人間が出合って病気になるという概念である。この概念は、考えてみると被曝だけを見ている単純な見方で一面的である。開発の前線には、レジスタンスを低くするファクターもあったに違いない。この論文を読んでいて、一番目からウロコが落ちたのは、その洞察であった。