医療と専門分科

 未読山の中から、一度読んだ論文が出てきた。著者のファンなので、喜んでもう一度読み直して、議論を整理して頭に入れる。文献はWeisz, George, “The Emergence of Medical Specialization in the Nineteenth Century”, Bulletin of the History of Medicine, 77(2003), 536-576.

 厚生労働省が診療科を整理するニュースがあったが、現代の医学は専門分化している。我々に当たり前のこの医療の基本構造は、19世紀に現れた。それ以前に「専門化」していた医療の分野は、医学の周縁から外に位置するステータスが低い分野だった。眼科というより「そこひ取り」、歯科というより「虫歯抜き」、脱腸屋、そして精神科医というより mad doctor あるいは alienist. これらに対して、呼吸器科、循環器科、神経科・・・19世紀には医学の先端ないし中枢の領域から「専門分化」が起きた。それはなぜだろう?

 医学的な知識の量が増えたから分化が必要になったという、学生が口走りそうな単純な説明は、原因と結果を取り違えている。医学史の教科書的な記述だと、ローゼンやアッカークネヒトをひいて「局所主義」が鍵だと教えている。18世紀までの全身論的、そして体液的な病気のモデルとは違う、病気は局在する「座」を持ったものだという疾病モデルが主流になると、医学的な「まなざし」をそれぞれの器官や臓器に限定することができる。その結果、臓器ごとの専門分化が起きるという説明である。

 長らく教えられてきたこの「医学理論中心的」な解釈に全面的に挑戦したのが、この論文である。ワイツによれば、初期の専門分化は器官に応じて発展してきたわけではない。温泉治療のような治療上のテクニックによる分業のほかに、女性、子供、精神病患者といった「患者とする人口の性格」、公衆衛生や学校衛生などの国家の機能に対応した専門分化が見られる。これは、ある集団を最も効率に組織する仕方は、それぞれに特有の属性を与えて分類するのが最善であるという、フランスの国家統治の理論が、医者の集団に適用されたからだとワイツは言う。医者が一つの「集団」を作っていること、その集団を組織するための理論があることの二つが必要だったというわけだ。このどちらも満たしていないロンドンのエリート医者たちは、だから専門分化に抵抗し、19世紀末まで「ジェネラリスト」のモデルを保っていたという。

 ワイツのテーゼを、アメリカ、フランス、イギリス、ドイツを較べながら全面的に展開した書物が去年出版された。腰を据えて読まなければ。