ナーヴァス・ブレイクダウンという<病気>

未読山の中から20世紀前半のアメリカで広く使われた<診断>である、ナーヴァス・ブレイクダウンの歴史を概観した論文を読む。文献は Barke, Megan, Rebecca Fribush and Peter N. Stearns, “Nervous Breakdown in 20th-Century American Culture”, Journal of Social History, 34(2000), 565-584.

 「ナーヴァス・ブレイクダウン」(nervous breakdown)という「診断」・「病名」は、1901年にアメリカの精神科医のアルバート・アダムズが、1901年にNervous Breakdownという書物で初めて用いた。当時、G.M. ベアードが1881年に導入した ニューラスセニア (neurasthenia) という疾病概念が、医者はもちろん一般の人々にも広く使われていて、アダムズのブレイクダウンは、ベアードのニューラスセニアとほとんど重なっていた概念であった。症状としてはほぼ同じものを差しているが、アダムズは外からのプレッシャーで神経=心が「壊れる」という比喩を強調するため、「ブレイクダウン」という表現を用いて、この表現が定着したという。

 定着したといっても、「ニューラスセニア」と「ナーヴァス・ブレイクダン」は、異なった形で社会に浸透した。「ニューラスセニア」は、精神科医・神経医・一般の医者によく使われた用語だが、「ブレイクダウン」の方は専門家というよりも一般の人々、特に患者たちに好んで用いられた。そして、患者や一般人によって用いられる中で、ナーヴァス・ブレイクダウンという概念が持つ機能は大きく変質した。一言でいうと、もともと医者によって提出された概念の「脱医学化」demedicalization が起きたのである。「ナーヴァス・ブレイクダウン」は、ある症状を患者が自分自身に説明して、家族や知人のサポートを得るための手段であった。その治療法も、専門家に診断を仰ぎ治療を請うというよりも、個人が持っている家族や知人などに頼ることが勧められていた。フレキシブルな曖昧さを持つこの疾病概念は、個人の心理に関するさまざまな問題を、非専門家たちの間で納得し処理するための道具となったのである。

 かつて「医学化」という概念が盛んに使われて、医学専門職と医科学による社会と日常生活の支配と管理の分析が進んだ。そろそろその逆の過程、つまり医学の影響が弱まった側面の分析が必要だと感じていたときに、「脱医学化」という概念を使ったこの論文はとても面白かった。

 きちんと調べたわけではないけれども、「ナーヴァス・ブレイクダウン」という「病名」は、日本に輸入されなかったのだろうか。英和辞典を引くと「神経衰弱」という訳語が出ているけれども、「神経衰弱」のもとの英語としてはベアードのニューラスセニアを考えるのが一般的である。あるいは日本語の「神経衰弱」は、ブレイクダウンの方を翻訳しているのかもしれない。ちょっと厄介だけれども面白い問題がここにある。

 最後に、無駄話を。モンゴル出身の横綱の、えっと・・・解離性障害だっけ・・・が問題になっている。医学史の研究者として、一連の騒動はとても興味深かった。「精神科医が3人集まると診断が4つある」という冗談を地で行ったような診断のオンパレードもそうだけれども、私が一番はっとしたのは、専門家の医師が、公式の場で、横綱が帰国して家族と暮すことを強力に勧めたことであった。その医者がおそらく会ったことも話したこともなくて、どのような性格の持ち主なのかを知らない家族に、患者の治療を主体的に担ってもらおうというのである。これが「脱医学化」でなくて何だというのだろうか。一方で、その医者の判断が専門家の意見として、相撲協会の裁定をくつがえす(このあたり、私の事実誤認があるのかもしれないけれど)事態は、「専門家支配」そのものである。きっと今頃、日本中の医療社会学の研究者たちがこの事件を素材にして論文を準備し始めていると思うけれども(笑)、どんなことを言うのか、とても興味がある。