必要があって、ルネッサンスのクリトリスをめぐる古典的な論文を読む。文献は、Park, Katherine, “The Rediscovery of the Clitoris: French Medicine and the Tribade, 1570-1620”, in David Hillman and Carla Mazzio eds., The Body in Parts: Fantasies of Corporeality in Early Modern Europe (London: Routledge, 1997), 171-193. Yahoo! ブログには不適切な記事をはじく機能があって、この記事をアップできるかどうか、心配である(笑)
トマス・ラカーが『セックスの発明』で展開した、「ワンセックスモデル」は有名である。古典古代とルネッサンスの医学書を分析して、当時は女性の生殖器は未発達な男性生殖器であると理解されていたことを明らかにした議論は、90年代の性の歴史を駆動した強力なヴィジョンであった。この論文は、ラカーのパラダイムでは全面的には説明できない女性生殖器に光を当てた優れた研究である。
クリトリスという器官は古典医学においても知られていたが、アラビア医学と中世医学においては、大きな混乱があった。用語の問題や実際の解剖経験の欠如があって、具体的にはどの器官をさすのか、医者たちは厳密には理解していなかった。16世紀にはいって、解剖学者たちが古典医学テキストと実際の解剖をつきあわせることをはじめると、フランスのシャルル・エティエンヌや、パドヴァのファロッピオやコロンボといった解剖学者たちが、その器官を「発見」したが、その意義についての見解は統一されていなかった。エティエンヌはそれは極度に敏感で、女性の快感の源であると考えたが、ヴェサリウスはそれは女性性器に生じた病理的な腫れ物であると考えて、新しい器官を発見したと浮かれている同時代の解剖学者を批判している。
このクリトリスについての見解の不統一の背後には、ラカーの言うワンセックスモデルがある。女性の性器が男性の性器の未発達なものであると考え、卵巣は体内にとどまった睾丸であり、膣は内に向かって伸びたペニス、子宮は裏返された陰のうであるという対応説で女性の体を見ていた解剖学者たちにとって、男性の身体の部分に対応しないクリトリスは、その理論的な位置づけが極めて難しいものであった。クリトリスは、当時の性の解剖学的なパラダイムを揺るがす器官であった。
その中で、クリトリスは両性具有者が持つ不完全なペニスであるとする、病理とワンセックスモデルを組み合わせたような説明が受け入れられた。そして、肥大したクリトリスは女性同性愛者に備わったもので、これをペニスの代わりにして相手の女性器に挿入するのであるという、クリトリスを犯罪行為(理論的には死刑に値する行為であった)の道具とみなす説明が現れた。
1601年にルーアンで行われたマリ・ル・マルシの裁判においては、肥大したクリトリスの位置づけが問題となった。マリーはある女性と愛し合っていたが、マリーが男性性が優勢な両性具有であって、彼女の肥大したクリトリスはペニスであるとしたら、これは通常の性交になって、マリーは無罪になる。しかし、彼女が女性であるとしたら、男性の役をして挿入することは死罪に値する。裁判は紛糾し、何人もの医者が呼ばれて、それぞれ異なった見解を述べ、結局マリーは無罪となり男性の名前を与えられて生きることとなった。
この女性のクリトリスが持つ、当時の医学パラダイムにおける明確に違う二つの性差の理解をゆるがすような役割は、フランス国王のアンリ四世、そしてその母親のキャサリン・ド・メディシスたちが、ジェンダーとセクシュアリティ役割において曖昧だと批判されたことと関係があるという。前者は受身で挿入される男性同性愛者として、後者は王の役割を果たすだけでなく女性に挿入して男性の役割を僭称する女性同性愛者として、性的な中傷の対象になっていた。
図版は1546年出版のエティエンヌの解剖図譜から。