精神病の診断の実験

 未読山の中から「そもそも精神科医は精神病を見抜けるのか」を「実験」した古典的な論文を読む。文献は Rosenham, D.L., “On Being Sane in Insane Places”, Science, n.s.179(1973), 250-258.

 「正気と狂気を見分けようとするのは、それ自体狂気の沙汰だ」というのはポローニアスの有名な台詞である。正気と狂気の間の線引きが難しいのは古典古代からの常識であった。この常識に挑戦したのが、近現代の精神医学である。-あるいは、気がついてみると、挑戦せざるを得ない立場に追い込まれてしまっていたと言ったほうがいいかもしれない。

 この実験は精神医学に対する根本的な反省が華やかだった1970年代に行われたものである。8人の正常な人間に虚偽の精神病の訴えをさせて、医者が虚偽を見抜けるか、どう対応するのか、もし入院したら精神病院でどのような経験をするのかを「実験」したものである。「偽患者」たちは心理学者とか精神医学者とか、精神病を比較的知っている人たちが選ばれた。彼らは「よく分らない声が聞こえる」という偽りの訴えをして、アメリカの一流の精神科医を受診したところ、めでたく(笑)すんなりと全員入院することができた。実験者たちはこうも上手く事が運んでしまうとは予想していなかったらしい。

 このことは、精神科医たちの無能力よりも、「偽陽性の錯誤」というそうだけれども、疑わしいときには病気であると仮定して治療を始めるという医学にありがちな傾向が大きい。精神医学の特徴があらわになったのは、むしろ入院後だった。偽患者たちは、入院後は全く普通に振舞った。そのため他の患者たちからは「お前はキチガイじゃない、新聞記者か学者だろう?」と疑われたが、医者たちは一人も疑義の念を挟まなかったという。それだけでなく、精神医学者たちは、偽患者たちのごく普通の人生を「病理化」するのに忙しかった。ある男性(普通の男性)の、「少年時代は母親と親密だったが、青年期にはむしろ父親と親密になった。結婚後は、妻と時折喧嘩をするが、親密であり仲がよく、夫婦間の摩擦は最小限である。子供を折檻したりすることは滅多にない」という彼自身の記述は、カルテでは「子供時代以来親密な関係を安定して保つことができない。母親の関係は冷却し、かつて疎遠であった父との結びつきが強化された。妻や子供に対する感情の激発を抑制しようとする試みは、怒りの暴発によって中断される」という記述になっていたという。

 この実験は、正気と狂気の区別が難しいのと同時に、いったん下された診断が、精神科医たちが偽患者たちを見る目に影響を与えることも教えてくれる。ここで使われているのは、「偽患者を送り込む」という、基本的に被験者をだまして実験することで、心理学では多用されるようだけれども、他の学問に携わるものから見ると・・・何といえばいいのかな・・・ちょっと抵抗がある手法である。この手の手法は、精神医学を告発するジャーナリストも多用したので、あらかじめ論じたいことが決まっていて、それに合わせて事実を拾った論文かと漠然と想像していたけれども、予想は良い方に外れた。わりと誠実な論文である。