利根川図誌


 必要があって江戸末期の利根川流域の地誌を斜め読みにする。文献は、赤松宗旦『利根川図誌』柳田国男校訂(東京:岩波文庫、1938, 2004)。葛飾北斎が著者の父に与えた図版も多く使われている。

 『利根川図誌』という有名な幕末の図誌がある。1858年に刊行されて、利根川流域の地誌と物産、名所旧跡や習俗などを詳細に描いた書物で、岩波文庫にも入っている。こんなもの(失礼!)、一生読むことはないだろうと思っていたけれども、この図誌を書いた下総の国・布川(現在の茨城県)に居住していた、二代赤松宗旦という男が医者だということを知って、もしかしたら水系感染症かマラリアの記述でもないかと思って、それらしい記述はないかとひたすらページを繰ってみた。もちろん、そんなものあるわけがない(笑)。

 その替わりと言っては何だけれども、それぞれの土地に特有の薬や治療法の紹介は沢山あった。例えば「ヒルモ」という一種の水草は、布川のあたりでは「メグスリッパ」といい、湯火傷に効くし、田を耕すものは葉をまぶたに貼って目を明らかにして熱をとるという。これについては、本草綱目や救荒野譜などといった当時の本草学が参照されている。このような江戸の博物学的なテキストだけでなく、ローカルな信仰治療の類も記されている。見知らぬ僧が加持をしてくれた井戸から眼病に効く水が湧いて、その評判を聞きつけて人々が多く集まり騒然としたので、官はこの井戸を禁じたことなどのエピソードは、背後に幕末特有の事情がありそうである。あるいは、特定の寺の石坂を逆向きに這い上がると幼児の病が治るといったような記事、海藻のこんにゃくは産婦のあとはらにいいなどの記述がある。

 ちょっとおおげさに言うと・・・ 病気よりも治療のほうが、ローカルな多様性として収集と記述の対象になったのだろうか? 低人さんふうに言うと「そんだけです」。

 画像は同書より、河童。