精神医療と患者の<作品>について

精神医療と患者の<作品>との関係について書いてみました。

 

まず第一に、精神医療は、文学や芸術をその中に含みこむ言説であり営みであったことを示す。これは、特定の精神科医や特定の作家の問題ではなく、精神医療が基本的な枠組みにおいて文学や芸術にいたる<作品>と不可分であったことを、20世紀前半の日本の精神医学の主要な教科書と精神病院の症例誌を通じて示す。教科書は具体的には呉秀三『精神病学集要』(1894, 2nd ed., 1916-1925)、石田昇『新撰精神病学』(1906; 6th ed. 1915)、下田光造・杉田直樹『最新精神病学』(1922, 5th ed., 1932)、三宅鑛一『精神病学提要』(1932, 7th ed., 1950) である。特に、石田、下田・杉田、三宅の教科書は改訂を重ね、日本の医学教育が拡大する中で精神病学の基本的な教科書として用いられた。精神病院は1901年に設立された王子脳病院、小峰病院の数千点の症例誌である。

 まずこれらの教科書は、数多くの患者の作品を原形を保って再現している。診療における質問に対する患者の回答が引用され、患者が医者に宛てた信書が復元され、患者の姿勢や行動、そして創作物などが写真で提示されている。これらはもちろん精神医学の診断や治療に必要な参考資料であるが、それと同時に、文学作品や芸術作品に連続的につながっていく患者の言語や創作の営みの集積でもあった。医学テキストが患者の身体や精神の様子を記録する時に、科学と論述・芸術の双方にまたがって、双方から素材を得たハイブリッドな言説領域となることは、Thomas Laqueur の「ヒュマニテアリアン・ナラティヴ」(1989)や、Meegan Kennedy の「クリニックにおけるゴースト」(2004)などに代表される一連の優れた研究が示している。[i] 日本の精神医療の教科書も、それと同じ意味で、医科学のマテリアルとともに、文学・芸術と連続する患者の作品を数多く取り込んだアーカイヴとしての機能を持っていた。

 「アーカイヴ」という言い方をしたのは、多様なものの集積という意味と、そこから「引き出して」利用される機能の意味の双方を持つからである。精神医療のアーカイヴは、個人の患者の作品のコレクションや、ある精神科医個人が特定の趣味や嗜好に応じてある芸風のものを集めた作品集とは性格が異なり、患者のさまざまな作品が集積されたものである。そのため、特定の芸術の流派に偏ることなく、さまざまなスタイルの作品が集められた heterogenious mixture になっている。実際、精神医療の教科書を見ると、そこに集められた作品を特定の流派に分類することは難しく、患者の個性や疾病のありさまに応じて多様なスタイルのものを含んでいるし、精神病院の症例誌を見ると、さまざまな様式の作品が含まれている。[ii] 数点の具体例を挙げるにとどめるが、三宅鑛一の教科書には、三宅に宛てた短歌をつなげ、その冒頭の文字をたどると「みやけさまへ」となる作品や、アルコール中毒患者が幻覚を描いた作品で、自分の四肢が縮んで身体に入ってついに卵状の身体になり、そこから再び四肢が伸びて釈迦とキリストになるありさまを描いたものがある。呉の著作には、作業療法の中で作られた人形の写真や、映画の前身である連続写真の手法を用いて撮られた緊張病患者の常同運動症の写真も付されている。精神病院の症例誌からは、ポンチ絵風の自画像の下に自らを卑下する詩を書いた17歳の少年の作品と、幾何学的なラインを持つ意匠が数多く描かれた20代の学生の作品を掲げておく。(図1-6) これらの作品は、精神病患者の作品であること以外に特定の特徴はなく、内容の点でも手法の点でも、まさに多様で異質な素材が集積される空間であるといってよい。

 精神医療のアーカイヴ性の第二の特徴として、そこから何かが<引き出される>という機能は、精神病学の教科書の場合であれば当然のようにそれで学習した個々の精神病医が実地で用いて、その教科書が作品を掲げることに倣ったであろう。精神医療についても、同時代の文学や芸術が精神医療との接触から、インスピレーションを引き出した事例は数多い。文学、建築、演劇や映画、ダンスなどを上げることができる。モダニズムと探偵小説の古典である『ドグラ・マグラ』は、作品の舞台が九大精神科の精神病院に設定され、患者と精神科教授と法精神医学の教授が主たる登場人物であるだけでなく、作者の夢野久作は、現実の精神科教授の榊保三郎(1870-1929)をその研究室・病院にしばしば訪ねてこの作品の素材を求めた。建築については、東京の精神病患者が設計した自宅である「二笑亭」が精神病医の式場隆三郎(1898-1965)によって詳細な論評をうけ、1939年には単行本として刊行されている。映画では精神病院とその患者を舞台として精神病院に取材した『狂った一頁』や、女優山路ふみ子が映画『侠艶録』(1939)で発狂する役を演じるため、精神病院を訪れて患者と友達になってその行動を真似しようとしたことが新聞記事となっている。ダンスについては、人気劇団の女優が、大阪の精神病院を訪問して、患者の動きを研究して特色がある舞踊を作り出そうとしたという新聞記事がある。

 

[i] Thomas Laqueur, ‘Bodies, Details, and the Humanitarian Narrative’, in Lynn Hunt ed., The New Cultural History (Berkeley: University of California Press, 1989), 176-204; Kennedy, M. (2004). "THE GHOST IN THE CLINIC: GOTHIC MEDICINE AND CURIOUS FICTION IN SAMUEL WARREN'S DIARY OF A LATE PHYSICIAN." Victorian Literature and Culture 32(02): 327-351.

                 

 

[ii] 患者の絵画を収集した精神病医としては、精神科医のHans Prinzhorn (1886-1933)が著名であり、ドイツを中心にヨーロッパ各地から患者の絵画などを収集して1922年にその分析を発表した。英訳は1972年に出版され、1995年に再版された。Prinzhorn, H. (1995). Artistry of the mentally ill : a contribution to the psychology and psychopathology of configuration. Wien, Springer-Verlag. である。ただし、プリンツホルンの評論で彼が選んだ患者の絵画は、統計的・科学的な基準ではなく、彼の志向に大きく左右されていることが指摘されている。(1996). Beyond reason: art and psychosis : works from the Prinzhorn Collection. [London], Hayward Gallery.

 

図1

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図2

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図3 

 

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図4

 

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図5

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