大正期の犯罪精神病―「殺人狂榊○鹿○郎」


必要があって、大正期に殺人事件を起こし、精神病を理由にして免訴になり、最終的に精神病院の内部で自殺した患者についての詳細な記録を読む。兵頭晶子『精神病の日本近代』が発掘した貴重な事例のひとつである。文献は、山本友香「所謂殺人狂榊○鹿○郎の病歴」京都帝国大学医学部精神病学教室編『今村教授還暦祝賀記念論文集』(京都:京都帝国大学医学部精神病学教室、1936)、437-477.

患者である榊○は、比較的富裕な家に生まれたが職業にもつかずに家でぶらぶらしていた青年であった。大正5年、彼が25歳のときに、隣村の一家四人を過去の恨みから殺害したが、精神病の鑑定で免訴となり、京都帝大の病院にしばらく入院した後、自宅に私宅監置された。その後、大正11年に監置室から脱走して、実兄を殺し、さらに村の巡査を襲ったが、後者は未遂に終わった。この結果、大阪脳病院に収容された。病院から二回逃走したので、そのたびに殺人狂の逃走として世情は騒然となった。大正15年の4月に独房で自殺(縊死)する。

この症例報告は、大阪脳病院の院長であった山本が、二つの殺人事件の際に作成された調書や鑑定書などから引いてきた榊○の証言と、榊○が病院内で書いたさまざまな手紙の類をそのまま掲載しているとても貴重なものである。精神病患者から見た病院・医療・家族や近隣の人々の姿を生々しく伝えている。

この資料は、近い将来に論文で分析しますので、その内容を示唆することはここでは控えますが、とても豊かな史料です。兵頭さんの解釈以外にも、さまざまな解釈をする余地がありますので、皆さま、ぜひご覧になりますように。また、この資料は、翻刻に値するものだと思いますので、興味がある方は、ご相談ください。

ひとつだけ、トリヴィアルなことを書くと、フーコーの洞察に従って、医療の装置による自己の形成という方向で考えていったときに、精神病院というのは、医者・看護の側が患者についてのさまざまな記録を作るだけでなく、おそらくそれに触発されて患者も物を書くようになる空間であるというアイデアがある。その主題で作られた映画がサドを主人公にした『クィルズ』だが、私自身のリサーチでも、医者たちが作る症例誌の鏡像であるかのように、患者が物を書くことが非常に多く、書いたものが残されている場合もある。この論文に描かれている主人公の榊○は、まさしく「物書き」であった。この病院は、トラブルを避けるために、榊○には物を書かせない方針で、彼に筆や紙などを与えなかったのだが、この制限を乗り越えて、榊○は超人的な努力を重ねて物を書く。論文に彼が書いた「もの」の写真が三点掲載されていましたので転載するが、上から、雑誌や新聞などを切り抜いてご飯粒で障子紙に張り付けたもの、ちり紙を集めて梳いて作った紙に木炭を溶いて箸の先につけて書いたもの、そして、おなじくちり紙を集めた紙に、自分の血で書いたものである。最後のものは遺書であり、死後に発見されました。このような文書、特に自分の血で書いたものを読むと、つい興奮して、自己の真正な表出だと思ってしまいがちであるが、私は、精神病院という空間が作り出した、患者の自己に注意を収斂させる力学の中に置かれた結果の「作品」であるという側面もあると思う。