敬意の経済学

必要があって、「敬意の経済学」についての論文を読む。文献は、Offer, Avner, “Between the Gift and the Market: the Economy of Regard”, Economic History Review, 50(1997), 450-476.

戦前の日本の精神医療の歴史を研究していて、そこには、公立精神病床、私立精神病床、家庭、それ以外の場所という四種類のケアの形態が混在している。極貧層は私立病院に料金を払って入院することはなかったし、富裕層も公立病床は使わなかったけれども、多くの階層の患者は、この四つから複数を組み合わせて利用していた。精神病床は全体に少なかったから、必然的に家庭が大きな割合を占めていたのだけれども、この部分について、「お金がかかるから私立精神病床は使えなかった」ということだけで説明するのではなく、家庭のケアと私立精神病床の利用を組み合わせる視点を探していた。

この論文は、まさにその視点を与えてくれるものだった。アダム・スミスの『道徳感情論』とポランニーの「大転換」から話をはじめて、スミスは社会の中の行為がもたらす道徳感情に社会と経済の基礎があると考えていたこと、ポランニーがいうところの資本主義のシステムとしての市場における交換へと社会が転換したあとでも、非市場的な交換は残っていることに注目する。その非市場的な交換とは、人称的・対面的な状況における互酬的なものであり、パーソナルで財やサービスはユニークなものである。ここで交換されるのは、敬意(regard)である。家事や育児は現在の非市場的な労働の代表だが、それもregard の表明であり、それを時間の経過を超えて交換し、相互に満足を与える行為である。これは、市場の交換が進展する一方で、世帯や少人数の集団においても重要な役割を果たし続けている。(ある箇所では、これは我々のDNAにワイヤーされていると、半ば冗談で書いているが、たしかにそうかもしれない。)